※写真はイメージです。
72時間にも及ぶ記録映像
東京オリンピック組織委員会が市川崑氏に指示したのは「必ずすべての競技を盛り込むこと」だったという。ただし、全ての種目を必ず入れろという意味ではない。 陸上ならマラソンだけ、水泳なら自由形の決勝だけ、と各競技のなかからひとつだけを選べばよかった。
市川崑氏が考えるべきことは限られた上映時間の中で、どの競技にフォーカスを当てるか?だった。
単なる記録映画にしないため、市川崑氏は信頼する劇映画の脚本家やキャメラマンも動員させる。
市川崑氏の呼びかけで、キャメラマンの宮川一夫氏、写真家・キャメラマンの長野重一氏、小説家・安岡章太郎氏などが参加した。
そうして撮影された記録映画のフィルムの長さは約30万フィート。72時間という膨大な量となった。
編集作業に関わったのは市川崑氏ら数十名のスタッフ。加えて脚本家の和田夏十氏、そして脚本を担当した谷川俊太郎氏。キャメラマンの長野重一氏も加わった。
作業は競技を8つの班にわけて行われた。
A 聖火、開会式、閉会式
B 陸上競技
C 水泳、柔道、水球、自転車競技
D 射撃、漕艇、ボクシング、ヨット、フェンシング、レスリング、ウェイトリフティング、カヌー
E 体操競技、マラソン
F バレーボール
G サッカー、ホッケー、バスケットボール
半年間もラッシュをチェックしシーンをつなげた。
粗く繋げたラッシュを観た脚本家・和田夏十氏はそれぞれのシーンにテーマを付けることを提案する。
パートごとに映像編集を変えていく、というのだ。
和田夏十氏は長野重一氏と共に開会式を担当。フランスの恋愛映画をテーマとした。
開会式の映像を検証する
公式記録映画『東京オリンピック』は、「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである」というテロップの後、真っ赤な空に丸く白い太陽が映し出されるところから始まる。谷川俊太郎氏が書いた脚本を読むと、この太陽はどんな国にも輝く、平等と平和のシンボルだったということがわかる。
建物を壊す映像。国立競技場。続いてオリンピック会場。
1964年の東京の街並みに「東京オリンピック」のタイトルが重なる。
タイトル文字は市川崑氏に頼まれた亀倉雄策氏が書いたという。
シーンは東京からギリシャへと移る。
1964年8月21日、ギリシャ・オリンポスの丘で太陽の光から火が生み出され聖火となる。
その聖火はイスタンブール、ベイルート、テヘラン、ラホール、ニューデリー、ラングーン、ホンコンを経て、沖縄に到着。
9月20日に広島を通過。原爆ドームの前を群集をかき分けて聖火が走る。
東京国際空港(羽田空港)に飛行機が到着。アメリカの選手団がタラップを降りる。
聖火は山並みを走る。街角を走る。
世界中から続々と到着する各国の選手団。ソビエト選手団は特別機で到着する。
聖火は走る。富士山がバックにロングで聖火を捉える。
チェコスロバキヤ、イタリヤ、ドイツ、そしてブルガリヤからも選手たちが到着する。
聖火が東京に到着する。
この、選手の到着と聖火が交互に映し出されるのは谷川俊太郎氏が書いた脚本に忠実だ。
10月10日。
国立競技場──。
満員の観客を映し出す。そして訪れた世界の国々の人々の顔。
開会式が始まる。
午後2時。オリンピックを生んだギリシャを先頭に選手団入場行進。
大勢の選手を送り出す国もあればカメルーン、コンゴはたったひとりの選手。
映画は行進だけを追うのではなく、外人のアベックの姿がインサートされる。
これが、フランスの恋愛映画をテーマとしたという和田夏十氏による演出だろう。
開会宣言や選手団入場のシーンだけでなく、行進を見物する警備員などの様子がインサートされ、これがアクセントとなっている。
開会式に市川崑氏から小型のキャメラを渡された谷川俊太郎氏、安岡章太郎氏、細江英公氏、長野重一氏らは小型キャメラを持って会場内の、普通では撮らないような場面や人を撮った。これらの映像が効果的に使われている。
最後に日本の入場。赤いブレザーが行進する。
選手が並ぶ。人々の顔。
開催宣言。五輪の旗が掲げられ号砲。風船が舞う。
聖火ランナーがトラックを駆け、聖火台に一気に駆け上がり聖火台に火がともる。
選手代表・小野喬氏(体操)による選手宣誓。
「宣誓。私はすべての競技者の名において、真のスポーツマン精神をもって大会に参加することを誓います」
日本中のスポーツ大会や運動会で選手宣誓が行われるようになったのは東京オリンピックかららしい。
ハトが舞う。
電光掲示板に「CITIUS ALTIUS FORTIUS」(より速く、より高く、より強く)の文字が浮かぶ。
国立競技場の3000メートル上空で、大空を舞う航空自衛隊の特別飛行研究班(ブルーインパルス)のジェット機が五輪のマークを描く。
ここまでのイントロダクションで26分。ここから競技が始まる──。