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記録映画ではない記録映画
1965年3月20日、前年の1964年に開催された『東京オリンピック』の公式記録映画が東宝系で劇場公開された。この公式記録映画『東京オリンピック』は今でもDVDで観ることが出来る。
公式記録映画『東京オリンピック』にはいくつもの競技が収められているが、ここでは、「男子陸上100メートル」を文庫『TOKYOオリンピック物語』(野地秩嘉/2013年10月13日/小学館)などの資料と共に見てみたい。
男子陸上100メートル決勝
開会式の後、映画は男子陸上100メートル決勝から始まる。男子陸上100メートル決勝は、大会5日目の10月15日午後3時30分に開始された。
決勝には8名の選手が残っていた。
注目は優勝候補のボブ・ヘイズ選手。アメリカの21歳の大学生。黒い弾丸と称される、褐色に染まる青年。
ヘイズ選手は準決勝で9.9秒を叩き出していた。だから決勝では世界新記録更新への期待が高まっていた。
記録映画では3つの撮影班を用意していた。
ひとつはダグアウトでスタートから中間地点までを押さえる班。
もうひとつはメインスタンドでゴールシーンまでを押さえる班。
そしてバックスタンドで全体を押さえる班。
映画ではまず、バックスタンドに陣取っていた班が捉えた、スタートからゴールまでが一気に流される。
トップでゴールインしたのは、やはりゼッケン702番、ボブ・ヘイズ選手。
記録は10.0。世界新記録タイ。
遅れてゴールインした他の2名の選手がヘイズ選手に駆け寄り祝福する。
そこから時間はスタート前に戻り、ヘイズ選手をメインに、自分のスタートブロックを調整する、緊張の選手たちの表情をスローで追う。
ここを撮ったのはメインスタンドの班だ。
「スタート前の選手たちは緊張のあまりか、むしろ悲しげに見える。スタンドの観客は選手のこういう表情にどこまで気付いているだろうか?スタートまでの時間の恐ろしい長さ。聞こえるのはただ旗竿が風に鳴る音だけだ」のナレーションがかぶさる。
選手の「スタートまでの時間の恐ろしい長さ」という体感時間をスロー映像で表現する。
スタートに並んだ選手の表情をメインスタンドの班がアップで追う。
スタートブロックに足をかけた選手の足元から身体をなめるように選手を観せる。
映画を観る者は選手のシャープな筋肉を堪能することが出来る。
それらの映像がスローで流れる。緊張を盛り上げる演出がなされている。
スタートから中間地点を押さえる班のキャメラマン、田中正氏と中村謹司氏はそれぞれキャメラを持ってダグアウトでスタンバイしていた。
田中氏と中村氏が狙っていたのは完璧なスタートダッシュだった。
そのためハイスピードカメラを用意していた。
二人が恐れていたのは選手のフライング。ハイスピードカメラはわずかな秒数しか撮影できない。選手がフライングしたらフイルムを交換する時間は、ない。
『フライングだけはするなよ』二人は祈った。
今のビデオ撮影とは違い、キャメラマンには刹那的な緊張があった。
スターターの「位置について」の声から二人はキャメラを回した。
しかし、中村謹司氏のキャメラはトラブル。動かない。
「ダメだ。オレのは引っかかった」中村氏は叫ぶ。
残るは田中正氏のキャメラのみ。
田中氏のキャメラが横一列に並んだ選手を捉える。
谷川俊太郎氏の脚本には「スタートラインに並ぶ選手たち(縦構図一直線に並んだ顔がほしい)。一○○メートルを十秒で走ろうとする男たちの表情はあまりにもきびしすぎて無表情であろう。
スタート!
スターターのピストルとスターティングブロックを蹴る選手たちのスパイクシューズのタイミングを同時に捉えたい(数回のカットバックになるか)──スタートの瞬間の捉え方、反射的に飛び出すタイミングが、各選手によって違うと思われるから。
トラック上──記録の壁にいどむ男たちのフォーム(或は肉体)」とある。
その脚本に書かれていることを田中氏は忠実に撮ろうとした。
ボブ・ヘイズ選手はダグアウトから一番、遠い内側の1レーンに位置していた。
田中氏のキャメラはヘイズ選手を捉えられない。
ムリにヘイズ選手だけを捉えようとすると他の選手が皆、ぼけてしまう。
それをメインスタンドの班の映像が補う。ヘイズ選手のスタート前の表情を映す。
スターターの「用意」の声。
そしてピストルの音。
ハイスピードで追った田中氏のスタートを切る選手の映像はわずか20秒。
続いてメインスタンドの班がボブ・ヘイズ選手だけを追う。
そしてゴールイン。
わずか10秒の競技を6分を使ってドラマで観せる。
確かに、ただの記録絵画ではこれだけのドラマにはならないことは確かだ。