に照準を合わせ威嚇する。 「荒川さんを呼ぼう」 榎本が唯一、心を開くことができる大学時代からの先輩、荒川博。榎本に野球と合気道の極意を伝えた男が呼び出された。 「とにかく出てこいよ。話をしよう」と言う先輩に対する榎本の返答は、 「荒川さんでも入って来たら撃つ」 「何バカなこと言ってんだ。入るぞ」 玄関のドア
なでられ続けた11試合 「神の域まで行かせていただきました」 「天国に行って神様に頭をなでられ続けた日々」 日米野球のベンチで座禅を組んだまま動かなかった男が残した謎の言葉。 『打撃の神髄榎本喜八伝』から引用しよう。 <骨や筋肉、それに胃や腸、肝臓などが、どこにどんなふうにあるのかわかるようになったんです。自
きく離れているのに、榎本にはバットが見えた。ちらっと見えた、のではない。ヘッドからグリップエンドまでバットの全体像がはっきりと見えている。 榎本喜八は目で投手を見つめ、頭でバットを見ていた。 [statpost postid="648"]
野村克也は言った 「王や長嶋がヒマワリなら、俺はひっそりと日本海に咲く月見草」 野村克也の名言だが、この時代のプロ野球にはさらに深い闇があり、その奥底に足を踏み入れ、ついに帰ってこなかったスター選手がいた。 「対戦した打者のなかで最も恐ろしい男だった」(野村克也) その男の名は、榎本喜八。 「当たったら痛いだ
」 呆然としていたたけしのもとにミスターが小走りに戻ってきて、 「ごめん、ごめん。今日、僕とだよねえ」 プロ野球選手の「メンタル」について記事を書くとき、スポーツジャーナリストである私はいつもこのエピソードを思い出してしまう。 こんなに天然で無邪気(で失礼)な「メンタル」はないなあ、と思うからだ。 話はそ
ムランを打つ」 前回「力を抜いて最強になる」では、王貞治の一本足打法の誕生秘話をご紹介したが、当然のことながら、プロ野球のスーパースターと同じことをやれ、といっても土台無理な話である。てゆーか、当サイトの目的はボールをバットで打つことではない(←今頃気づいたか、という自分に対するツッコミ)。 そこで今回は「自宅で3
ル」に世界の数億人が驚嘆し絶賛したんだからね。 「人を助け世の中を明るく豊かにするウソってのもあるよな」 そんな気分で読み進め、次の一文にぶち当たり、またしても心のうちでズッコケたのだが・・・。 <私は若い人には、ホラを吹くようにすすめている。> ・・・よくわからないが一応の結論。 ウソはときとして「奇跡」を
はわかっていても経験論が優先され、経験論こそが壁になる。 「王貞治はこれですごい成績を残してきたんだから」 「高校野球時代までは」という但し書きがつくのだが……。 合気道は「スポーツ」ではない。 <しかし、クセが直らないなどと誰が決めたのだろう。クセは、ほとんど後天的なものだ。赤ん坊のときから右足に力を入れてい
変わっていない。 「理想の上司」「部下の管理術」「チームワーク」「大きな敵に勝つ戦略」……そういった「企業の論理」で野球が語られるようになってしまった。 多くの人は、企業の論理を忠実に守り、利益を上げ、給料をもらって生活している。 「ああ、仕事がやっと終わった」 人はナイターが行われる球場へと向かう。ビールを飲
1966年、ベンチで座禅を組み動かない選手にメジャーリーガーたちはわが目を疑った スポーツライターの私がプロ野球を取材していると、なんとも非科学的な出来事にぶち当たり唖然とすることがある。 「たまあに」ではない。これがしょっちゅうあるのだ。 たとえば、毎日オリオンズの中心打者だった「元祖安打製造機」榎本喜