「F1は純粋なカーレースではない」――アイルトン・セナはくり返しそう語っている。カート時代こそが「リアル・レース」であり「純粋に楽しめた」と。「奇跡」と「政治」のコントラストが悲しいまでに深まった1989年の日本GP。「F1八百長説」を追う。
「君がいなくなって本当にさびしいよ、アラン」――時速300キロを超えるコックピットの中。アイルトン・セナは「仇敵」アラン・プロストに呼びかけた。1994年サンマリノGP。過去を清算するかのような行動が「セナ自殺」という「都市伝説」を生み出していく。
1994年。F1の世界は劇的に変わった。レース中の給油が許可され、過去10年間に達成されたハイテク技術が禁止された。すべては「興行」「ショーアップ」のため? 何も起こらなかったかのように、レースは38分後に再開された。
1988年日本GP。スタートに失敗したアイルトン・セナ。ところが一周目で5台のマシンを抜き去り、次の2周で2台をクリアした。「スプーンカーブを曲がるとき、宙に浮いたような神を見た」・・・それは「すべてが調和した世界」だったのか?
1988年モナコGP。セーフティーリードを奪い「楽勝だ」と数億人が思ったレース最終盤。アイルトン・セナの信じがたいミスでマシンがクラッシュ。生涯最大の失態の直後、包み隠さず語られた「神」「信仰」・・・そして、自らの「メンタル」とは?
2015年、ホンダが23年ぶりでF1レースに復帰する。「HONDA」+「F1」のコラボレーションは何故、これほどまでに日本人の心を躍らせるのか?私の答えは、アイルトン・セナ。1988年秋。「神を見た」というセナのメンタルとはどのようなものだったのか?