【第6回】「終わった」アイルトン・セナのファンは誰もがそう思った|リアルホットスポーツ

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2015年7月23日
【第6回】「終わった」アイルトン・セナのファンは誰もがそう思った

「F1は純粋なカーレースではない」――アイルトン・セナはくり返しそう語っている。カート時代こそが「リアル・レース」であり「純粋に楽しめた」と。「奇跡」と「政治」のコントラストが悲しいまでに深まった1989年の日本GP。「F1八百長説」を追う。

フリーライター
  
ayrtonsenna06
※写真はイメージです。

F1はカーレースではない!?

「純粋にレースを楽しめた。そこには政治など存在しない。金も絡まない真のレースだった。それが今でも、いい思い出として残っている」
アイルトン・セナ

「生涯最高のレース」「最高のチームメイト」を問われると、アイルトン・セナはいつも遠い目をした。
遠い過去。1970年代のカート時代にさかのぼって語り出すのが常だったからだ。
逆に言えば、「F1はカーレースではない」ということになる。
世界数億人の目をくぎ付けにしたアラン・プロストとの闘いは、カーレースであると同時に「政治」であり「マネー」であり「ショー」だった。
ライバルのプロストの背後に、「F1政治」を象徴する「天敵」がいた。ある意味、プロストより巨大な怪物が。
その男の名は、ジャン=マリー・バレストル。国際自動車スポーツ連盟(FISA)創設者で1979年から1991年までFISA会長の座に君臨したフランス人である。
バレストルの暴君ぶりは、ホンダの桜井淑敏総監督との口論で世界に広まった。
「1988年からターボエンジンの過給圧を2・5バールに規制する」
これが会長自らが出した「緊急動議」で、バレストルはさらに続けて、
「(母国フランスの)ルノーはF1に最初にターボエンジンを導入したのに、一度もチャンピオンになれないまま撤退だ」
バレストルは「F1は欧州のもの」と考えていた。
「なのにお前らは何度も勝ちやがって」
完全な「いちゃもん」である。
桜井も黙っていない。スピード狂の元不良少年なのだ。
「ルノーの功績は認めるが、チャンピオンになれるかどうかは別問題。彼らは技術競争に負けたんだから仕方ないだろう」
バレストルはキレた。
「F1にイエローはいらない」

モータースポーツ界の帝王はナチ親衛隊だった!?

……人種差別主義者?
「F1の父」なんだからそんなことはないだろうと思い、彼の経歴を調べて腰が抜けそうになった。
最初に目に飛び込んできたのが、アドルフ・ヒトラーの肖像画の前でナチ親衛隊(SS)の制服を着た若き日のバレストルの写真だったからだ。
「やつは第二次大戦中フランスSSだった」
そう言って批判する人物に対し、バレストルは訴訟を起こし続け、すべての裁判で勝ってきたのだという。
「俺はナチと闘ったレジスタンスだ」
写真が存在するのにバレストルは真逆の主張を繰り返した。どちらかの説を証明する人物は法廷に現れなかった。
戦後は一介の自動車ジャーナリストだったが、バレストルが創刊した雑誌『オートジャーナル』が大当たり。フランス最古の新聞『フィガロ』を買収したとき、上流社会の扉が開かれた。
もちろん、買収資金には自動車メーカーの宣伝費、カーレースのチケット代、広告費がかなりの割合で含まれていたはずだ。
そんな男だから当然、母国フランスのドライバー、アラン・プロストを偏愛した。
F1「王者」と「会長」の関係から、これまた当然のごとく発生したのが「F1八百長説」だった。

FISA会長がプロストにだけスタートのタイミングを教えていた!?

アラン・プロストのスタートはむちゃくちゃに速い。サーキット上のレッドランプが緑に変わると同時に誰よりも前に出ている。この技術の正確さだけはセナをも凌駕していた。

「・・・プロストにはスタート八百長説が、常について回った。
「実はプロストのスタートの巧みさには、こんな仕掛けがある」
とライバルのドライバーは今も口を揃える。
「スタート時、グリーンランプが点灯するまでには4~8秒かかる。一定ではないんだ。その“時間内”でスターターはシグナル・グリーンのボタンを押すんだが、ここに問題がある。もし、それが今日は4秒目とか6秒目とか、前もって分かっていれば、ドライバーは神業的なスタートがいとも簡単に切れることになる。仮にバレストル会長がスタート・タイミングを決め、それをプロストが事前に知っていたとすれば・・・、そんな噂は今回始まったことではないが、とにかくここ一番のレースでは、決してスタートが速くないプロストが目の覚めるようなスタートを決めるんだ。とても偶然とは思えないよ」」
(荘田健一『アイルトン・セナ 神に召された天才の肖像』ゼニスプランニング)


プロスト「八百長説」に私は同意しない。同意しないが、「八百長説」を採れば、2年連続で起きた不可解な事故が容易に説明できることもまた確かである。

セナとプロスト「2年連続」クラッシュの謎

1989年。日本GP。
アラン・プロスト 81ポイント
アイルトン・セナ 60ポイント
セナは追い詰められていた。チャンピオンになるためには先頭でチェッカーフラッグを受けるしかない。勝って決着を最終戦オーストラリアGPまで持ち越すしかなかったからだ。
予選でのセナの速さは伝説となった。
同じマクラーレン・ホンダを駆って2位のプロストに1・73秒の大差をつけたのだ。
レース本番。アラン・プロストは神業的なスタートでセナを抑え込んだ。
「予選のタイム差を見ればセナがプロストを抜き去るのは時間の問題だろう」
私もそう思っていた。
「去年はスタート14番手からプロスト鮮やかに抜き去ったじゃないか」
ところがそうはならなかった。
「抜かせないこと」――それが「プロフェッサー」プロストのプロフェッサーたるゆえん。
10周目にはセナに4秒の差をつけた。セッティングの変更も功を奏し、ストレートではセナを置いてく速さを見せつけた。
残り6周。セナが勝負に出た。130Rの立ち上がりでインを突くと、プロストは「虚を突かれ」(?)たように「慌てて」(?)インを締め、セナのコースをふさいだ。
セナの側に立って書くとこうなるが、(?)部分の解釈は人それぞれだ。
紅白の2台のマシンがホイールを絡ませたまま停車した。
「終わった」
アイルトン・セナのファンは誰もがそう思った。

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数