【第4回】F1はスポーツではない。興行であり、ショーなのだ|リアルホットスポーツ

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2015年7月23日
【第4回】F1はスポーツではない。興行であり、ショーなのだ

1994年。F1の世界は劇的に変わった。レース中の給油が許可され、過去10年間に達成されたハイテク技術が禁止された。すべては「興行」「ショーアップ」のため? 何も起こらなかったかのように、レースは38分後に再開された。

フリーライター
  
ayrtonsenna04
※写真はイメージです。

セナのマシンはタンブレロでナーバスな動きを見せていた(シューマッハ)

The Show Must Go On
ショーを止めるわけにはいかないんだ
フレディー・マーキュリー(クイーン) 最後のシングル

ミヒャエル・シューマッハは後遺症に悩まされることになる。何年も。
1994年5月1日。サンマリノGP。6周目。

「セナの駆るウィリアムズのマシンはタンブレロでナーバスな動きを見せていた。後ろがガタンと落ちていてね・・・」
(シューマッハの証言 クリストファー・ヒルトン『伝説』ソニー・マガジンズより)


7周目。アイルトン・セナは消えた。
クリーム色のコンクリートウォールに激突し、フロント部分を完全に失ったセナのマシンは、シューマッハのコースを一度ふさぎ、道を譲るかのようにコースわきへと流れた。
飛んでくる破壊されたパーツをかいくぐり、トップに立ったシューマッハはアクセルを踏み込んだ。
ショーは続けられなければならないからだ。
14時17分。セナのマシンがクラッシュ。
14時55分。再スタート。
中断はわずか38分間だった。
優勝したミヒャエル・シューマッハは、沈み切った表情で言葉を絞り出した。

「私たちは今回の死亡事故から多くのことを学ばなければならない。もっと前から改善しなければならない点がたくさんあった」

ルールの変更はF1「ショー」をスリリングなものにしたか?

この年、F1グランプリのルールが大きく変わった。
「いや違う。むちゃくちゃに破壊されてしまったんだ」
そんな表現をつかう人も多くいたし、私もこの意見に同意する。
(1)レース中の給油許可
理由は「コース上での追い抜きが困難で順位の変動が少ないため」だというが・・・。
「ピット作業というマシンの性能、ドライバーの技量以外の順位変動要因を入れたい」
これは完全に興行主、あるいはギャンブルの胴元の意見である。
「レースをスリリングなものにしたい」?
本当にそうなっただろうか?
(2)アクティブサスペンションの禁止
(3)ライドハイトコントロールの禁止
(4)トラクションコントロールシステムの禁止
(5)アンチロックブレーキシステム(ABS)の禁止
(6)四輪操舵システム(4WS)の禁止
(7)フルオートマチックの禁止
この「禁止6連発」の理由はこれだ。
「資金にゆとりのあるチームがマシンに最先端の装備を施し、好成績をあげるケースが多いため、低予算チームでも好成績をあげられるようにした」
一見「民主的」なルール変更に思えるが・・・これもまた「興行=ショー」のための措置に他ならない。しかも、標的は明らかにウィリアムズ・チームだった。
ホンダのF1撤退後、アイルトン・セナが選んだウィリアムズは、常に「ハイテク競争」をリードしてきた超越的な技能集団だった。
1987年。アクティブサスペンション導入。
1991年。トラクションコントロールシステム導入。
ウィリアムズは、翌年から24戦連続ポールポジションという大記録を打ち立てた。
1994年当時のチーフデザイナー、エイドリアン・ニューウェイの苦悩は、ミヒャエル・シューマッハの後遺症より深刻だ。

「彼(引用者註・アイルトン・セナ)がウィリアムズに来てくれたのは、我々がそれまでの3年間良いマシンを作っていたからだ。彼は最高のマシンを作るチームを望んでやってきた。それなのに、94年の開幕当初のマシンは良いものではなかった。この思いは一生私につきまとうだろう」

「アイルトンには、剥き出しの才能、そして意思の強さがあった。彼はそんなマシンでも何とかしようとその性能では不可能な域まで行ってしまった」

「彼をそんな立場に立たせてしまったことが悔しくてならない。あまりにもアンフェアだ。その後、我々はマシンを立て直したが、その時にはもう彼はこの世にいなかった」
(F1-Gate.com)

アイルトン・セナはつぶやいた「今年ここで誰かが死ぬ」と

セナの家族はウィリアムズ・チーム相手取って訴訟を起こした。結果は原告敗訴だったが、裁判でセナの死の真相が明らかになったわけではない。断じて。少なくとも、モータースポーツ・ファンのほとんどは納得していない。
1994年サンマリノGPを中止すべき理由はいくつもあった。
死の約一か月前、アイルトン・セナはテストドライブのためにイモラのサーキットを歩き状態を調べている。タンブレロ・コーナーに凹凸がいくつもあるのを発見したセナは、複数のカメラが回るなか、こうつぶやいた。
「今年、誰かがここで死ぬ」
第1回予選が行われた5月27日。セナの弟分ともいえるブラジル人ドライバー、ルーベンス・バリチェロのマシンが大クラッシュを起こした。
縁石のスロープから舞い上がったマシンは芝生もタイヤウォールも越えメタルフェンスに激突。
幸い、軽傷ですんだが、粉々になったマシンが「悪夢の幕開け」となった。
さらにその翌日の予選二日目。ルーキーのローランド・ライツェンバーガーがヴィルヌーヴ・カーブを曲がり切れず事故死してしまう。12年前、ジル・ヴィルヌーヴが事故死したことで名づけられた因縁の場所だった。それ以来12年間、F1グランプリ開催中のドライバーの死者はひとりも出ていなかった。
恋人だったアドリアーナ・ガスティーユは、電話をかけてきたセナにこう聞き返した。
「え? 日曜日のレースがなくなるの?」
アイルトン・セナは謎の言葉を残して消えた。
「知らなかったの?」
レースは中止されて当然だった。
私はそう思うし、アイルトン・セナもそう考えていたはずだが・・・。
レースは中止されるはずだった。
そう書いた後に、こうつけ加えなければならない現実があった。
これが「スポーツ」であるならば。
F1はスポーツではない。興行であり、ショーなのだ。
The Show Must Go On
ショーをやめるわけにはいかない。

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数