究極のリラクゼーションを求めて「不思議な場所」へとたどり着いたアスリートたち。ベンチで座禅を組み動かない「安打製造機」。バットではなく日本刀を振り回すホームラン王・・・。
「僕はもうボロボロです」。2002年4月。女子プロレスの「爆笑王」がリングを去った。テンカウントゴングを自身の耳で聞いた最後の小人レスラー、角掛留造。テレビの討論番組は彼に「差別と闘う男」というレッテルを貼ろうとしたが……。
小人プロレスに強烈なプライドを持ち闘った男。小人レスラーがたった3人となった「滅びゆく世界」の中心で、それでも静かに笑っていた男。身長112センチ。体重45キロ。今こそ甦れ!WWWA世界ミゼットチャンピオン、リトル・フランキー!
メキシコでは「ラッキーボーイ」と讃えられ、アメリカでは「プロレスの殿堂」に特設コーナーがある小人レスラーだが……。日本では50年以上、ずうっと「見えない人間」にされてきた。日本プロレス史の「闇の王」ミスター・ポーンよ!今こそ甦れ!
WWF「レッスルマニアIII」で自身の100倍の巨人、キングコング・バンディ(体重200キロ)に果敢に挑んだリトル・ビーバー(公称体重20キロ)。このとき、彼はなんと52歳の超ベテランだった。ハンディキャッパーにこそリスペクトを!米国「小さな巨人」伝説。
WWF「レッスルマニアIII」。史上最大9万3173人の観客が見つめるリングにリトル・トーキョーら4人の小人レスラーがいた。体重20キロ(公称)のリトル・ビーバーに体重200キロのキングコング・バンディがエルボーを落とす衝撃のシーンが伝えたものは?
WWF「レッスルマニア」に対抗すべく、AWAの帝王、バーン・ガニアは「スーパークラッシュ」を開催。「スポーツとしてのプロレス」を守る最後の大勝負には、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎が助っ人として駆けつけたが……リングにいた日本人は、全日本プロレスのトップ3人だけではなかった。
1952年5月3日。大山倍達と闘ったと推定されるディック・レインズは、うまくて強いレスラーだった。米軍に要請され、レインズは米兵に「素手での格闘術」を教えていた。闇に包まれたレスラー、マス・トーゴー編、ここに完結。
「ディック・リールは本当にいる。私は実際に闘ってノシたんだから」……プロレスラー「マス・トーゴー」の武勇伝は「全部ウソ」とする言説に大山倍達は激怒した。資料がまったく残っていないマス・トーゴーVSディック・レインズ戦の真実とは?
グレート東郷の招きでアメリカに渡った大山倍達は、プロレスラー「マス・トーゴー」として270戦し全勝。この伝説は現在、「真っ赤なウソ」とされている。1952年5月3日の1試合をのぞいて……。