【第3回】「バカッ速い男」フェルナンド・アロンソに激しく期待する|リアルホットスポーツ

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2015年7月23日
【第3回】「バカッ速い男」フェルナンド・アロンソに激しく期待する

1988年日本GP。スタートに失敗したアイルトン・セナ。ところが一周目で5台のマシンを抜き去り、次の2周で2台をクリアした。「スプーンカーブを曲がるとき、宙に浮いたような神を見た」・・・それは「すべてが調和した世界」だったのか?

フリーライター
  
ayrtonsenna03
※写真はイメージです。

緊張した時にしか力をフルに発揮できない。それが僕の唯一の欠点さ

1988年、モナコGP。
勝利を目前に生涯最大の失態を演じたアイルトン・セナは、レーシングスーツ姿のまま自分のマンションへと歩いて帰った。
カメラがその表情を執拗に追いかけた・・・。
「アイルトン・セナともあろうものが、なぜ、あんな初歩的なミスをしたんだ?」
その理由は誰にもわからなかった。
セナはジャーナリストの質問に答えず、ともに闘ったスタッフですら「そのこと」に触れるのをためらった。
ホンダF1チーム総監督の桜井淑敏が意を決して質問したのは、レースから4カ月も後のことだった。

「「こんなこと聞いていいかな」
ぼくは、言葉を選びつつ、彼に問いかけた。
あのアクシデントは、セナにとって触れてほしくない部分ではないかと危惧したからだ。
だが、彼は平静であった。いや、むしろぼくの疑問に答えることを望んでいた。
「遠慮はいらないよ。モナコGPのことだろう」
「うん。いろんなことを言う人がいるけど、僕の見たところ、あれは、緊張感を失ってプッツンしただけじゃないのかな」
セナの目に笑みが浮かび広がっていった。
「そう。それが真実さ。ボクの唯一の欠点は緊張した時にしか、力をフルに発揮できないことなんだ」」
(桜井淑敏『ファーステスト・ワン』勁文社)

欧州のジャーナリストが「セナは未熟だ」「若い」と攻撃するなか、日本のマスコミは大方、桜井の見解に同意していた。セナが日本を「第二の故郷」と呼んだ理由の一つがここにある。セナが「単独取材拒否」の姿勢を示すなか、例外が雑誌『ナンバー』など日本のスポーツジャーナリストたちだった。
「プッツンしただけ」とする桜井の見解にうなずきつつ、セナは抽象的なことをつけ加えている。

「彼はこのレースを機に自分自身の見直しをしたという。より以上、レースへの集中力をキープするためにはどうすればいいのか。精神のリラクゼーションを果たすにはどのような方法があるのか。さらには、日常生活の過ごし方、ジャーナリストとの対応法・・・」
(桜井淑敏『ファーステスト・ワン』勁文社)

日本人監督と対話の中で「神」については語られなかった。

僕の頭の中のすべてのことがらが調和することが大切だ

真実の「断片」が語られるのに、さらに3年以上の歳月がかかった。

「それは僕の頭の中にある、多くのことの調和の問題だ。僕は常に完璧を求めている。あらゆる分野で進歩したいと思っているし、自分の仕事における部分では、限界を向こうに押しやるために時間を過ごしているんだ。この限界の向こうに王国が存在することは僕にはわかっている。僕たちの肉体はあえてそこに足を踏み入れようとしないが、そこにたどり着くことは可能なはずなんだ。これは特に、精神的な問題だ」
(今宮雅子「神について語ろう」『ナンバー』1991年6月20日号)

アイルトン・セナは、その領域を「天国」と表現していない。神がすべてを支配しているところとは対極にある場所。あくまで自分自身の「王国」なのだ。
そこは「静かな場所」ではない。王国は、エギゾーストノートに包まれた場所、時速300キロ超の「動」の世界にある。

「僕は学び、すべてを理解しようと思っている。
1988年モナコGPこそ「理解できない出来事」だった。
でもこれはとても時間のかかる探求だし、ここでもまた、僕の頭の中のすべてのことがらが調和することが大切だ」
(今宮雅子「神について語ろう」『ナンバー』1991年6月20日号)

鈴鹿サーキットのスプーンカーブの上空。天へと昇っていく光につつまれた神・・・。
1988年秋、私が見たのは「すべてのことがらが調和する」世界だったのかもしれない。

ホンダを駆る最後の鈴鹿 セナは日の丸の小旗をコックピットに忍ばせていた

「うれしいなあ」と表現するしかない世界をアイルトン・セナは突っ走っていった。
アイルトン・セナは、今宮雅子との対話を「こんなインタビューは無駄なのさ」と言いたげなまま、終えている。

「僕がこの経験から汲み取ったことを、他の人達に伝えることができればと思う。人間は自分自身の中に力を見出すことができ、その力によってどんどん進歩していくことができるということを、いつか証明することができればと思うよ」
(今宮雅子「神について語ろう」『ナンバー』1991年6月20日号)

それは証明されないまま、アイルトン・セナは消えた。

「僕たちの肉体はあえてそこに足を踏み入れようとしない」
(今宮雅子「神について語ろう」『ナンバー』1991年6月20日号)

今から22年前。「マクラーレン・ホンダ」はF1から撤退した。
1992年。日本GP。アイルトン・セナは日の丸の小旗を密かにコックピット内に持ち込んでいた。しかし、エンジントラブルに見舞われわずか3周でセナのマシンはサーキットから消えた。

2015年。「マクラーレン・ホンダ」が鈴鹿に帰ってくる。
モータースポーツファンは全員がこう言うだろう。
「アイルトン・セナのような天才が再び現れることはない」
「誰もアイルトン・セナのようにドライブできない」
「F1のサーキットでもう奇跡は起きない」
私もそう思う。重々承知している。だけど・・・「HONDA」がF1に帰ってくるんだぜ!
もうひとりの「理由はわからないがバカッ速い男」フェルナンド・アロンソに、私は激しく期待する。
彼なら「魔法」を再現できる!
私の「確信」を笑わば笑え。
マクラーレン・ホンダのマシンは、セナの魂を乗せたままだ。そのままでF1に戻ってくる。

「顔を上げろよ! 僕たちはきっと勝てる!」
            フェルナンド・アロンソ

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数