【第5回】アイルトン・セナの死を語る輩にはセナが遺した言葉を贈りたい|リアルホットスポーツ

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2015年7月23日
【第5回】アイルトン・セナの死を語る輩にはセナが遺した言葉を贈りたい

「君がいなくなって本当にさびしいよ、アラン」――時速300キロを超えるコックピットの中。アイルトン・セナは「仇敵」アラン・プロストに呼びかけた。1994年サンマリノGP。過去を清算するかのような行動が「セナ自殺」という「都市伝説」を生み出していく。

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※写真はイメージです。

死の数時間前、セナはなぜ、「仇敵」アラン・プロストと和解したのか?

「親愛なる友人、アランに特別なあいさつを送るよ。君がいなくなって本当に寂しいよ」
アイルトン・セナ 1994年5月1日

アラン・プロストのヘッドフォンにアイルトン・セナの声が飛び込んできた。
「I miss you,Alan」
現役を引退したプロストはその日、フランスのテレビ局TF1の放送席にいた。
レース当日のウォームアップラン(練習走行)を行っていたセナのマイクはTF1とつながっていた。そのことをセナの「天敵」プロストはまったく知らされていなかった。
これはテレビ局の「企画」ではなかった。セナ自身が2週間前から計画を練り、テレビ局に持ち込んだものだ。
アイルトン・セナとアラン・プロストの確執は、表向き、次のように伝えられてきた。
「プロストは何度も和解を呼びかけてきたが、若いセナは背を向け続けた」
F1史上最大のライバル関係・・・というよりも「命がけのケンカ」をくり広げてきた2人の心は氷解し癒され・・・5時間後にセナは消えた。
なぜ、アイルトン・セナはプロストにまるで昔の恋人のように呼びかけ、その直後にこの世を去ったのか?
「セナ自殺説」が世界中でささやかれた。

レース前日。セナはヘリの操縦士に写真を贈っていた

セナの「過去を清算」するかのような行動はこれだけではなかった。

「オーウェン、君にあげたい写真があるんだ」
(クリストファー・ヒルトン『伝説』ソニー・マガジンズ)


レース前日。ピットの一番外側に待機していたヘリコプターのパイロット、オーウェン・オマホニーはセナの言葉に驚愕した。
100%レースに集中しているはずのセナがなぜ、今、そんなことを言い出すのか。
セナが差し出した2枚の写真。1枚目の写真には、初めてヘリを操縦するセナの姿が写っていた。

「オーウェンへ。このおかげで、ファーローへ到着する時間が遅れたという、証拠写真」
(写真に書き込まれた言葉)

もう1枚はふたりが談笑している写真だった。

「オーウェンへ。感謝を込めて」

オマホニーは「記念の写真がほしいなあ」と思っていたが、口に出したことは一度もなかった。

「必死で何かの帳尻を合わせているように見えた」
(オマホニーの証言)


ブラジル人ジャーナリストのジェイムズ・ブリトーに対してセナが示した態度は、さらに奇妙だった。
「アイルトン、サインをしてくれ」
自分が撮った写真を差し出したブリトーは知っていた。
「私の願いがかなえられることは100%ない」
スタートが30分後に迫っていたからだ。

「3枚の写真はすごく悲しげだった。そうセナにも言ったよ」

完全に無視して通りすぎるはずのセナが立ち止まって自身の写真を凝視した。

「セナは以前、私(引用者註・クリストファー・ヒルトン)に「レース直前は、レースのメカニック以外、視界に入れてはいけないんだよ」と言った。」

「セナの目には涙が溜まっていた」ルーベンス・バリチェロ

世界に衝撃を与えたのは、グランプリ期間中に見せたセナの涙だった。

「目が覚めたらまず、セナの顔が見えた。彼の眼には涙が溜まっていて・・・まるで、自分が事故に遭ったような表情をしていた。あんなセナを僕は見たことがなかったよ」

予選1日目の金曜日に大クラッシュを起こしたルーベンス・バリチェロの証言は、セナの過去の言動とともに大きく報じられた。
彼の超越的な速さの秘密に迫るジャーナリストたちにアイルトン・セナは何度もこうくり返していた。
「とてつもない予知能力が要求される」
もちろん、死後に書かれたアイルトン・セナの伝記は「自殺説」を否定するものばかりだが、この「都市伝説」は消えない。状況証拠と理由があるからだ。
「今年誰かがここで死ぬ」
死の約1か月前、事故現場となるダンブレロ・コーナーでセナがつぶやいた言葉は複数のカメラが記録していた。
ドキュメント映画『アイルトン・セナ~音速の彼方へ』のプロデューサーはこの映像をくり返し観て頭を抱えていたという。この「超常現象」とも呼ぶべき映像をどこかに組み込んだらセナの英雄像がぶっ壊れてしまうからだ。

アイルトン・セナは自殺したのか?

20年後に記憶と資料をたぐっている私自身はどうか?
ジャーナリズムの手法でセナの「自殺説」を否定するのは簡単だが・・・その作業をするのがものすごくおっくうなのだ。やりたくない。めんどくさい。
アーサー・ケストナーの『機械の中の幽霊』という本がある。なぜ、この本が世界中で読まれたのか、といえば「マシンの中にゴーストなどいない」というのが近代以降の人類の常識だったからだろう。
フランス人のアラン・プロストを善玉(ベビーフェイス)、ブラジル人のアイルトン・セナを悪役(ヒール)として描きたいヨーロッパのジャーナリストが世界中に流布した言説。
「セナは人間の心を持っていないマシンだ」
だから、マシンが「神」を語ったとき。
「鈴鹿のスプーンカーブを走っているとき、宙に浮いた神を見た。光に包まれ天高く昇っていく」
キリスト教徒の書き手のほとんどが狼狽し、さらなる攻撃をセナに対して行った。
「神がついているから自分は死なない、とセナは考えている」
「“不死身”を信じる狂信者だから、セナはプロストのマシンに後ろからぶつかっていった」(1990年日本GPについて)
アイルトン・セナの言葉をそのまま受け入れたファンが住む日本に生まれてよかった、と私は思う。
1988年秋。鈴鹿サーキット。
とにもかくにも、私は見た。
一周で6台のマシンを抜き去った彼の速さを。
ヘアピンカーブに入る彼のマシンのエギゾーストノートを私は聴いた。
1秒間に6回もアクセルを開閉する、いわゆる「セナ足」についての科学的結論はなんだったのか?
「セナ足をやってもマシンは速くならない」
まさに「機械の中の幽霊」ではないか?
アイルトン・セナを科学的、合理的に語ろうとしても無駄。セナが消えて20年以上が過ぎたが、いまだ「セナ足」を再現した人類はひとりもいない。
もちろん、私もまた「自殺説」を採らない。理由はセナ自身が語った言葉だ。
アイルトン・セナの死を「陰謀論」あるいは「雑学」「豆知識」として飲み屋で語る輩には、アイルトン・セナが遺した言葉を贈りたい。
「いつか・・・僕が経験から汲み取ったことを他の人に伝えること、証明することができれば、と思うよ」
「いつか」がやってくる前にセナは消えた。

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数