「緑色の魔人」ミッシング・リンクに変身する前のパワーファイター、デューイ・ロバートソンとは何者だったのか?1982年以前の資料は皆無。参考になるのは、すべてが誇張された漫画だけ。インターネットを漂流し、私は一本の動画を発見した。
1982年。リングに「緑色の類人猿」が現われ、ひとりのパワーファイターが消えた。出現したのは「サルと人間の中間にいた幻の生物」ミッシング・リンク。消えた男の名はデューイ・ロバートソン。
1995年春。カナダ出身のプロレスラー、ミッシング・リンクが初来日した。「失われた環」「進化論の謎」「サルと人間の中間にいた幻の生物」……ハンサムなパワーファイター、デューイ・ロバートソンはなぜ、44歳になって「類人猿」キャラを選び変身したのか?
彼と競馬ファンに「幸福」と「死」を同時に見せつけた馬がいた。GⅠの大舞台で落馬した後藤騎手を見つめ、彼のもとから離れなかった馬。負けても負けても走り続け、ファンに「あいつは後藤を待っている」と言わしめた馬。その馬の名は、シゲルスダチ。
死の数時間前まで後藤浩輝は演歌のライブの客席にいた。応援グッズに身を包み、大声で歌手の名を叫んだ。「はしゃぎまくっていた人間が直後に首つり自殺をするか?」。誰もが言葉を失った。
2月27日。JRA騎手、後藤浩輝がこの世を去った。「僕は多重人格者だ」と自己紹介する自伝『意外に大変。』(東邦出版)の後半。後藤騎手は自らの生い立ちを赤裸々に語っていた。チャラけた言動の裏にあった後藤騎手の思いとは?
2015年2月27日。JRA騎手、後藤浩輝がこの世を去った。死の6日前、東京競馬場で行われたダイヤモンドステークスで後藤騎手は落馬した。後藤騎手の生涯最高のレースもまた、15年前のダイヤモンドステークスだった。
2015年2月22日。JRA騎手、後藤浩輝がこの世を去った。「首吊り自殺」という知らせに誰もが言葉を失った。「理由がわからない」としか言いようがなかったからだ。低迷する競馬人気を支えた「ファンサービス委員会委員長」はなぜ死んだのか?
1990年日本GP。1周目第1コーナーでセナは「自爆」した。スタートで前に出たアラン・プロストのマシンに対し、コースをゆずらず、ただただアクセルを踏み続けた。「故意か偶然か」――議論が今も続く「8秒のドラマ」の真相とは?
1990年日本GP。予選が終わり、ポールポジションを獲得したアイルトン・セナは突如、こう言い出した。「スタート位置を左右逆にしてくれ」「インは埃で汚れていて滑りやすい」。スタート直後の事故でチャンピオンが決まった「8秒のドラマ」の真相とは?