【第1回】やっぱり、書かなきゃいけないんだと思う。亡くなった後藤浩輝騎手について・・・。|リアルホットスポーツ

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2015年8月4日
【第1回】やっぱり、書かなきゃいけないんだと思う。亡くなった後藤浩輝騎手について・・・。

2015年2月22日。JRA騎手、後藤浩輝がこの世を去った。「首吊り自殺」という知らせに誰もが言葉を失った。「理由がわからない」としか言いようがなかったからだ。低迷する競馬人気を支えた「ファンサービス委員会委員長」はなぜ死んだのか?

フリーライター
  
gotouhiroki01
※写真はイメージです。

「後藤が首つり自殺? 違う! 首の治療中の事故だよ」

自分以外の人間は幸せに育った人間に見える。俺は悲劇の人間だ。ほかの人たちに負けてたまるか!>(後藤浩輝『意外に大変。』東邦出版)

やっぱり、書かなきゃいけないんだと思う。2015年2月27日に亡くなった後藤浩輝騎手について・・・。
「首吊り自殺? まったく理由がわからない」
ほとんどの人がそう思ったはずだ。
池袋にある行きつけの酒場にぶらりと入ると、いつもはほとんど競馬の話なんかしないマスターが、
「違うよなあ。後藤は首が悪かったんだろ? 風呂場で首を伸ばそうとして、間違えちゃっただけだろ?」
また、突きつけられる。
「・・・だよな。そうだよ!」
後藤浩輝、最後のフェイスブックの書き込み。
昨日は泊ってるホテルで、ずっと気になっていた“栃木のプリンス”宇都宮晃の歌謡ショーを観てきました。もちろんTシャツやうちわを買い込み応援!!
ズン! ズンズンズンドコ ア・キ・ラ~ッ!!ってやってきました
私も「理由がまったくわからない」と書きたいのだが・・・。
何度も何度も繰り返されるのは、たった一度だけ、彼と交わした言葉だ。
雑誌『ナンバー』でのインタビューが終わったあと、私は雑談でオリビエ・ペリエ騎手の話を持ち出してみた。
「ペリエがこう言っているんですよ。『みんながフェアに闘う日本の競馬が大好きだ』とね」
すると、後藤騎手の笑顔が消えた。
「これ、引っかかるんですよ。フェアっていうのはなんなんだろうって? 日本人騎手が間隔を空けて、きれいな隊列を組んで走っている、ってこと?」
騎手としてのスイッチが入った。後藤騎手の表情がみるみる変わっていく。
「日本人騎手が『勝ってください』とペリエのためにコースを空けている、ってこと?」
インタビュー中は饒舌そのものだったちょっと前の後藤浩輝は消えた。言葉を絞り出す。
「・・・だからね・・・だから・・・外人にそんなことを言われないように・・・俺ががんばるしかない」

後藤浩輝は日本競馬の光だった。
彼は「自分のいる世界が嫌いだ」と明言していた。

フロリダの競馬場をさまよい歩く謎の東洋人

カルダー競馬場 フロリダ
この男、とにかく、やることが極端だった。
やっと勝ち星が重ねられるようになった1996年。後藤浩輝は姿を消した。単身、アメリカに渡ってしまうのだ。
「なんでダート競馬が中心のアメリカなんだ!?行くんならヨーロッパだろ!?」
そのニュースを聞いた私は思わず叫んでしまった。私だけじゃない。このニュースを聞けば競馬ファンなら誰だってそう思う。
それに損か得かで考えれば、日本だと黙って馬に乗っているだけでアメリカでやるより10倍以上の賞金が稼げるのに。「なぜ!?」
「それでも行く」というのだから、「後藤浩輝は勝ちまくって帰ってくるんだろう」と私は考えていた。
ところが、アメリカに着いてホテルに泊まったその翌朝、競馬場に行った僕は驚愕の事実に襲われた。なんと、エージェントがいなくなっていたのである>(後藤浩輝『意外に大変。』東邦出版)
「来年6月にここに来るから」という東洋人騎手との口約束はエージェントの脳裏から消えていた。
僕はあわてて競馬場のなかで人をつかまえ、そのエージェントの名前を出して行方を尋ねた。すると、カリフォルニアに行ってしまったとのこと>(後藤浩輝『意外に大変。』東邦出版)
 後藤浩輝が途方に暮れていた場所は、フロリダのカルダー競馬場。
仕方がないので、自分で厩舎を訪ねて歩くことにした。ひとつひとつ、すべての厩舎を歩いて回り、「日本から来た騎手です。調教に乗せてください」と英語で挨拶をした>(後藤浩輝『意外に大変。』東邦出版)
厩舎村をさまよい歩く謎の東洋人?
そんなんで馬に乗せくれるはずがない!
結果を先に書けば、後藤浩輝「アメリカ武者修行」の線歴は158戦7勝。
たった7レース勝っただけ?
誰だってこう怒鳴りたくなるよ。
「アメリカくんだりまでなにしに行ってたんだよ!?」
日本から届いた荷の中に「サッポロ一番」をみつけた後藤騎手は、それを机の前に置いた。
「一勝したら、このごちそうを食べてやる! 卵も入れちゃうぞ!」
修業を終え、後藤騎手はのちに彼のお家芸となる「コスプレ記者会見」第一弾を計画していた。飛行機に乗っている間もずっと「川口浩探検隊」の扮装で恥を忍び、成田空港のゲートから出てくると・・・。
報道陣はひとりもいなかった。

後藤よ!「スローペース症候群」をぶっ飛ばせ!

後藤浩輝アメリカ武者修行は無駄だったのか?
その頃の日本競馬をひと言で表すなら、この言葉しかないだろう。
「スローペース症候群」
誰かが逃げると誰も競りかけていかない。みんな、隊列を守り、スローペースで折り合うことだけに集中する。結果、「直線ヨーイドン」となり、瞬発力のある馬に乗った岡部幸雄騎手、武豊騎手だけが勝つ。(だけではないのでここはイキママでいきましょう) 後藤浩輝騎手が出会ったアメリカの競馬は日本とは真逆だった。
スタートしたら、いきなりフルスロットルで馬を追いまくり、ガソリン切れを起こさなかった馬が勝つ。
それが正しい競馬だなんて、もちろん、思わないけど」(後藤騎手)
たった一度の『ナンバー』でのインタビューのあとの約一年間は、私にとって至福のときだったといっていい。
競馬の場合、スタートし、隊列が決まる。
もちろん、「逃げ」「先行」「自在」「追い込み」といった馬の脚質によって「展開」が形成されるのだが、後藤騎手が頭角を現した頃には「岡部ライン」という言葉もあった。 トップジョッキーの岡部幸雄騎手の元には当然、最も多くの騎乗依頼が集中する。 岡部騎手は日本で初めてエージェントを雇い、調整を行った。「乗れなかった馬」を「子分」である蛯名正義騎手、柴田善臣騎手、田中勝春騎手らに振り分ける。仲間内で馬を回しておけば、ライバルに「有力馬を取られる」事態を回避できる。乗りたいときに有力馬に乗れる。
プロとしての当たり前の心理が生んだ合理的なシステムだが、仲間内(岡部ライン)はレースにも反映され、ファンの怒号を浴びることになる。岡部騎手が逃げると、岡部ラインの騎手たちは誰も競りかけていかない。当然、レースはスローペースになる。
「ああ、ダメだ。騎手全員に“スローペース症候群”が感染した」
私がため息をついた瞬間、後藤浩輝騎手のスイッチが入る。
「よし! 後藤が行った!」
乗っている馬が「追い込み馬」であろうがおかまいなし。後藤騎手が先頭に立ち、あとは馬を追いまくるのみ。
そして、後藤騎手は負ける。
ポケットの中の単勝馬券が紙くずになる。
正直いって私は、後藤騎手の騎乗を見て「うまいなあ」と思ったことは一度もない。
しかし、「競馬は損得じゃない」ことを教えてくれたのが後藤浩輝騎手だった。

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数