【第4回】競馬学校に入学したとき、後藤浩輝は騎手の名前などひとつも知らなかった|リアルホットスポーツ

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2015年8月6日
【第4回】競馬学校に入学したとき、後藤浩輝は騎手の名前などひとつも知らなかった

死の数時間前まで後藤浩輝は演歌のライブの客席にいた。応援グッズに身を包み、大声で歌手の名を叫んだ。「はしゃぎまくっていた人間が直後に首つり自殺をするか?」。誰もが言葉を失った。

フリーライター
  
gotouhiroki04
※写真はイメージです。

どの競馬場にも「死」は転がっている

後藤浩輝騎手が木刀を持って暴れたとき、取材した厩舎関係者は、こう言い切った。
「後藤は悪くない。自分と仲間たちの命を守るために当然のことをした」
しばらくして同じ厩舎関係者に電話をかけると、
「○○は入院してます。調教で馬が正面衝突してしまったんですよ。そうだなあ。半年は出てこれんでしょう」
それが競馬の世界の日常なのだ。
常に「死」と隣り合わせで仕事をしているプロが、「暴力はいけない」というシャバの常識を口しなかったのは、むしろ当然のことかもしれない。
父の首つり自殺未遂を目撃し、無理心中寸前までいった。小学4年生で父の両手によって「死」を体内深く埋め込まれた後藤浩輝が騎手になったことについても、
「これも宿命なのか」
そう思ってしまう自分がいる。
競馬学校に入学したとき、後藤浩輝は騎手の名前などひとつも知らなかったという。競馬とはまったく無縁の環境で育ってきたからだ。
「目標とする騎手は?」
記者からそう問われた後藤浩輝は「しまった」と思い、周囲を見渡すと……たまたま、的場均騎手のポスターが目に入って、
「的場さんです」
「テキバさんと読まなくて本当によかった」というのがこのエピソードのオチ。
まわりは馬に乗って育ったやつばかり。「へたくそ!」と罵られながら、一心に努力した若者は吠えつづけた。
「安全運転などしない!」
「本当に笑顔がいい好青年」と後藤騎手に会えば誰もが感じるはずだが、それが仮面であってもなんの不思議もない。

あなたには家庭はない。早くここを出ていきなさい

コネもつてもない後藤少年に騎手学校入試を強く勧めたのは、小学生時代から激しく衝突し続けた母親だった。母親は自分の店を持つ自立した女性だった。
無理心中事件によって息子との関係が最悪な状態となった父親は、それをなんとか修復しようと「川に遊びに行こう」と提案した。最初は仲良く遊んでいたが……選んだ日が最悪だった。
台風一過の晴天。ということは、当然だが、前日に大雨が降ったということ。危険水域に達していた川に足を滑らせた息子が呑まれた。
3日間の入院。
当然、母親が駆けつけてきて、父親を激しく叱咤する。退院の日に迎えに来たのは母親の方だった。「もう父親には任せられない」ということだ。
母に引き取られた後藤少年が目にしたのは「後藤ではない表札」だった。これが最初の大きな違和感。友達を家に誘ったら、「後藤の家じゃないじゃん、ここ」と無邪気に質問されてしまう。理由を口に出して言えない。
僕は新しいお父さんにまるで馴染めなかった。「お父さん」と呼ぶのにも抵抗があったし、なつくことなんて考えられなかった。姉のように、初めは母と二人で暮らしていて、そこに新たな父としてその人が住み込むようになったのならまだ受け入れやすかっただろうが、僕の場合は違う。つい昨日まで、僕は本当の父親と暮らしていたのだ。それが、自分の母親と暮らすようになった途端、そこに知らない人がいた。僕と無関係のところで、母と結婚した人だ。母からなんの説明も受けないまま、母と夫婦になった人だ。どうしてその人を父親と認識できるだろう。すぐに父親と割り切ることなんて。子供にできるわけがない>(後藤浩輝『意外に大変。』東邦出版)
母親は新しい伴侶と息子が仲良く暮らすことを強く望んでいる。母の気持ちは痛いほどわかるが、息子にはそれができない。
家のなかで暴れるようになった理由を後藤浩輝は「面倒臭くなった」と書いている。
僕は自分の手首を切ろうとカミソリを持ったこともある。別に死のうとしたわけではない。そうやって親を困らせることが目的だった
家のなかのものを手当たり次第に放り投げたりとか、家具を壊したりとか、とにかく家のなかは滅茶苦茶になった
僕が暴れ出すと母が包丁を持ち出して「これで私を殺しなさい!」と怒鳴ることもよくあった
小学生の頃から後藤浩輝のそばには常に「死」があった。
その後、母親は新しい父と別れ、元の父親と復縁するがすぐに別居。
「進学するより手に職を持ちなさい」という母の口癖は、裏返せばこうなる。
「あなたには家庭はない。早くここから出ていって自立しなさい」

後藤浩輝が語った「神」そして「自殺」

そんな感じで、僕は普通の家庭にある「家族の温かさ」みたいなものを、まるで知らないまま育ってきた。
なんというか、共同体に対する幻想が全くなかったということだろうか。人間が最初に出会う共同体は、家族である。そこに友達が加わったり、大人になったら所属する組織が加わったりするだろう。それらの共同体とは、時に自分を守ってくれるものである。
僕にはその出発点である家族というものが、自分を守ってくれるものだという意識がない

後藤浩輝は「騎手会ファンサービス委員会委員長」としてテレビカメラの前でおどけて見せた。一方で「競馬の世界はきらいだ」と言い続けてこの世を去った。
その時どきによって違う自分が現われるたび、僕はそんな僕に不思議なものを感じている
死の前日、演歌のライブに出かけ、
「ズン! ズンズンズンドコ ア・キ・ラ~ッ!!」
はしゃぎまくっていたときに出てきた「後藤浩輝」。
警察の判断や報道が正しいなら、そのわずか数時間後。父が試みたことを最後までやり遂げてしまったときに出てきた「後藤浩輝」。
「それは別の人格だった」
そう書いて、私の頭の半分は納得しようとしているが……。
そう書いたところでなんの慰めになるだろう、とも思う。
自伝の終わりに後藤浩輝は「神」と「自殺」について書いている。
そんな僕だから、これだけは言える。もし神様がいるとして、人々にさまざまな試練を与えたとしよう。その試練は、だれもが必ず乗り越えられるものだ。神様はきっと、その人が乗り越えられないものは与えないのだ。こんなにつらいことはない、そう思えることはだれの身にもふりかかる。だけど、絶対に乗り越えられる
最近、不況のせいもあって、自殺者が増えていると聞く。それぞれにつらい事情があったのだろう。でも、乗り越えられないことは与えられないというのは間違いない。どんなにつらくても、それは耐えられる試練なのだ
そして、つらい思いがまた降りかかるだろう。でも僕はそのたびに、どれかのスイッチをカチンと入れて、100%の後藤浩輝で生きていく。向こうに見えている険しい山に登るため、生きている限り、僕は100%の“後藤浩輝”だ

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数