【第7回】元祖「安打製造機」榎本喜八を暗闇から救った「立ち方」|リアルホットスポーツ

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2015年10月8日
【第7回】元祖「安打製造機」榎本喜八を暗闇から救った「立ち方」

彼は「安打製造機」と呼ばれた。彼は「奇行の人」と呼ばれた――。日本プロ野球史の極北に輝く「不思議な星」榎本喜八。打撃の神髄と究極のリラクゼーションを追い求め、数々の記録をうちたてながら表舞台から忽然と消えた男が残した謎の言葉――「天国で神様に頭をなでられ続けた11試合」とは? 真打ち登場!

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※写真はイメージです。

「対戦した打者のなかで最も恐ろしい男」と野村克也は言った

「王や長嶋がヒマワリなら、俺はひっそりと日本海に咲く月見草」
野村克也の名言だが、この時代のプロ野球にはさらに深い闇があり、その奥底に足を踏み入れ、ついに帰ってこなかったスター選手がいた。
「対戦した打者のなかで最も恐ろしい男だった」(野村克也)
その男の名は、榎本喜八。
「当たったら痛いだろうなあ」
「次は頭、いくでえ」
「フォームが少しおかしいんじゃないの?」
「なんの球待ってんの?」
野村克也といえば、「ささやき戦術」だが、榎本喜八が打席に歩み寄ってきたときだけは言葉を発することができなかったという。
「榎本独特のオーラに呑まれた」
榎本喜八が1000本安打を放ったのは、なんと24歳9カ月のとき。この記録はいまだ破られていない。イチローも超えることができなかった大記録である。
当時の投手なら誰もが認める「天才」打者だが、毎日オリオンズ入団直後は「プロの壁」の前で立ちすくんでいた。

「3割を打たなければ、給料を下げられてしまう」

以下、『打撃の真髄 榎本喜八伝』(松井浩 講談社)を元に当時を再現してみよう。
極貧の少年時代を過ごした榎本は、恐怖にとり憑かれていた。
「3割を打たなければ、給料を下げられてしまう」
度が過ぎる「マジメ人間」だった榎本は、ファンの「単に笑いを取るためだけのヤジ」も真に受けた。
「A級戦犯は死刑だぞ!」とヤジられただけで眠れなくなった。
「おい、榎本! 俺にも家を建ててくれ!」
「20歳で家か!? 30になったら東京タワーでも建てるつもりか!?」
榎本は「家はやはり早すぎたか」と本気で反省してしまう。
酒やバクチでまぎらわすことができなかった。

榎本喜八のリラクゼーションは……なんと……両生類虐待だった。
近所の田んぼでガマガエルを捕まえてきて紙袋に入れる。新築の家の庭に植えた桜の木に吊るす。空気銃で打つ。
ガエルなので悲鳴は上げない。なんの反応もない。ただ弾が紙を破る音……。
ブスッ、ブスッ、ブスッ、ブスッ……。
そうやって精神の平衡を保っていた、というのだから……ちょっと論評する言葉が見つからない。
真っ暗闇。なんの光明も見えない。
そんな時代。榎本喜八の前に現れたのが、合気道の達人、藤平光一だった。

「安打製造機」を救った「ただ立つだけ」のリラクゼーション

「バットを振ってみてください」
素振りをしても藤平は無言。
「バットを構えて立ってみてください」
「私があなたの肩を押しますので、後ろに倒れないようにしてください」
藤平が軽く押すと榎本の体が傾く。よろけ、足をバタバタさせた。
「バットを置いてください。立ち方の稽古をしましょう」
これがすべての始まりだった。
「足の裏で畳が感じられますか?」
榎本が大きな声で「はい」と答えると、
「立ったまま、足の裏全体で畳を持ち上げるようにしてください」
足は腰の幅に少し開く。ひざは伸び切らず、少し曲がった状態。イメージするのは「足の裏に吸いついた畳が上に持ち上がる」。
榎本は「腰がスーッと伸びた」と表現している。
「はい、もう一度」
今度は、腰から、わき腹、背筋が伸びていった。肩から力がスーッと抜ける感覚。
藤平から感想を聞かれ、伸びた個所、力が抜けた個所とともに榎本はこうつけ加えた。
「身長が高くなったような気がしました」
「それは大変いい。そのまま『重みは下』と言ってみてください」
口に出して言ってみると、足の感覚が急によみがえってきた。
榎本の感想は、
「自分が二本の足で立っていることを改めて実感しました」
「足の裏で青畳の目の状態まで感じられる気がしました」
ここから、王貞治の記事に書いた「臍下の一点に心をしずめる」作業が始まった。
「息をするのが楽になった」
もう一度バットを構えた榎本喜八の体はびくともしなかった。

「腸腰筋」を目覚めさせれば足は軽くなる!

このトレーニングの最大の利点は、家のなかはもちろんのこと、駅のホーム、電車のなか、信号待ちの路上……どこでもできる全身のストレッチであることだ。
「まず、腰が伸びた」
実はここが重要で、大きく体を動かすことなく、普段の生活ではほとんど伸ばすことのない「腸腰筋」が伸びる。さらに「臍下の一点」をただ「意識する」だけでも腸腰筋は伸ばされる。
腸腰筋は四肢のなかで最も重い骨、大腿骨につながっており、それを持ち上げる働きをしてくれる。しかし、この運動は走っているときもほとんど行われていない。
太ももを持ち上げるとき、ほとんどの人は太ももの前の筋肉(大腿四頭筋)を使う。実はこれ、よい運動とはいえない。
ダッシュして急に止まってみてほしい。太ももの前にギュッと力が入るのがわかるはず。大腿四頭筋の本来の役割は、ブレーキをかけることにある。太ももを上げるときも足の動きを止めるときもこの筋肉を使うことは、車のアクセルを踏みながらブレーキをかけることに似ている。
ほとんどの人は、太ももを上げるとき、腰の筋肉を使わない。結果、ブレーキでもありアクセルでもある大腿四頭筋が酷使され、激しい運動やきつい仕事をするとここが炎症を起こし筋肉痛となる。
太ももと腰の筋肉をうまく使い分け、分業させることで、足が軽くなるのである。

心配しなくていい。マイナス部分は、全部、私が吸い取ってあげますから

藤平光一が榎本喜八に伝授した「立ち方」、「臍下の一点」への意識は、文字通り「暮らしを変える」パワーを秘めているのである。

場面を藤平光一の道場に戻そう。
榎本喜八が素振りをすると、バッドが空を切る音が違っていた。重いが鋭い「ブンッ」という音。好調のときのスイングだった。
「ありがとうございました」
深々と頭を下げる榎本に藤平はこう声をかけた。
<「榎本さん。榎本さんは、とても悩んでいらっしゃる。しかし、そんなに心配しなくてもいいですよ。そのマイナス部分は、全部、私が吸い取ってあげますから」>(『打撃の神髄 榎本喜八伝』)
藤平光一は榎本喜八の心のうちまで見通していた。この言葉以上のリラクゼーションがあるだろうか?
闇の向こうに光の点が現われた。
榎本喜八はここから「神の領域」まで突き進んでいくこととなる。

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数