【第2回】後藤浩輝騎手は「マラソン・レース」ダイヤモンドステークスに挑んだ|リアルホットスポーツ

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2015年8月5日
【第2回】後藤浩輝騎手は「マラソン・レース」ダイヤモンドステークスに挑んだ

2015年2月27日。JRA騎手、後藤浩輝がこの世を去った。死の6日前、東京競馬場で行われたダイヤモンドステークスで後藤騎手は落馬した。後藤騎手の生涯最高のレースもまた、15年前のダイヤモンドステークスだった。

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※写真はイメージです。

とてもじゃないが今の後藤は買えねえ!

僕がやっていることは、みんなで一緒に手をつないでゴールしましょうというものではない。タイムトライアルでもないし、馬の走る姿の品評会でもない。「勝負」なのだ」 (後藤浩輝『意外に大変。』東邦出版)

2000年2月13日。東京競馬場。
後藤浩輝騎手はユーセイトップランとともに3200メートルの「マラソン・レース」ダイヤモンドステークスに挑んだ。
1番人気はミルコ・デムーロ騎手のタヤスメドウ。
このレースを7度制し(!)「長距離の鬼」と呼ばれた岡部幸雄騎手のスエヒロコマンダーは3番人気。
「マラソン・レースは騎手の腕で決まる」
私を含め多くのファンがこの格言を信じていた。
一年間も勝ち星から遠ざかっていたユーセイトップランは7番人気。
「とてもじゃないが後藤は買えねえ」
大きな理由が他にもあった。
前年1999年8月。後藤浩輝騎手は美浦トレーニングセンター内の騎手寮「若駒寮」で暴行事件を起こしていた。木刀を振り回し、後輩の吉田豊騎手を一方的に制裁したのだ。
この事件で私が驚いたのは、後藤騎手を非難する騎手、調教師、厩舎関係者がひとりもいなかったことだ。
「暴力はいけないが、後藤の気持ちもわかる」
そう言うのならまだわかるが、「競馬ムラ」には「暴力はいけない」という前提がないのである。
「競馬は民主主義社会の番外地」
騎手という「特殊な稼業」を思い知らされる事件だった。
後藤騎手に課せられた4か月の騎乗停止処分は、暴力事件を起こした騎手では史上最長。
12月25日に復帰したが、翌日に「進路妨害」で3週間の騎乗停止。
「競馬のお祭り」有馬記念当日に「後藤がまたやった」となったのだから、ファンが見捨てて当然だった。
マイナスイメージはそれだけじゃない。
ダイヤモンドステークスの3日前に同じ音無厩舎の人気馬、エガオヲミセテが放牧先の厩舎火災で命を落とした。
「なぜ、後藤なのか?」
弔い合戦に後藤騎手はいかにも「場違い」だった。
単勝馬券を少しだけ買った私も「魔法のような競馬」が眼前で展開されることなど夢にも思っていなかった。

15年前 魔法のようなダイヤモンドステークス

スタートし、和田竜二騎手のポートブライアンズが逃げると・・・やっぱり、誰も競りかけていかない。
岡部騎手のスエヒロコマンダーは3番手から2番手へ。先行して最後にちょっと差す。岡部幸雄のお家芸「シンボリルドルフ戦法」である。
思わず「うまい」と唸らされたのはミルコ・デムーロ騎手の騎乗だった。スタートしてからずっと馬の上で動かない。微動だにしないのに、中団内の最短距離をピッタリと回っている。馬との折り合いも完璧に見えた。
馬群の一番後ろを「トボトボとついていく」ユーセイトップランと後藤浩輝騎手。
実況アナが叫ぶ。
「前半1000メートル1分4秒台でしょうか。かなりスローな展開になっています」
レースはそのまま淡々と進むかにみえたが、2周目・・・。
3コーナーにかかるかなり前にユーセイトップランが動く。シンガリから13頭をごぼう抜きにする後藤浩輝騎手。まるで競輪を見ているかのような「大マクリ」。後藤騎手はゴールまでまだ1000メートル以上ある地点から動いた。
「後藤がまた行った!」
私は内心で狂喜乱舞したが・・・馬券はあきらめた。こんな競馬をして勝った馬を見たことがなかったからだ。
「あれをやっても絶対に馬がヘタる」
・・・あれ?・・・差が広がる?
デムーロ騎手、岡部騎手の順でゴーサインが出るが・・・まったく差が縮まらない!
約1年分のハズレ馬券を後藤騎手は60秒で帳消しにした。
「押し切れ! 押し切れ!・・・よっしゃー!!」
絶叫した私は直後に怒りが込み上げてきた。
「じゃあ、これまで見てきた日本の競馬はなんだったのか?」
この年、後藤浩輝騎手は102勝をマークし、関東リーディング2位に躍り出た。

父が目の前に落ちてきた

後藤浩輝の自伝『意外に大変。』(東邦出版 2002年5月)
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あれから15年。後藤騎手はたび重なる落馬負傷と闘い続けた。
死の6日前。後藤浩輝騎手はダイヤモンドステークスで落馬した。
4コーナーで後藤騎手のリキサンステルスは前にいる馬と接触したように見えた。
その直後、馬は横倒しとなり、後藤騎手は馬場に投げ出された。
馬は折れた脚で虚空を掻いているようにも見えた。
右上腕骨粉砕骨折。リキサンステルスは安楽死処分となった。
リキサンステルスはダートで勝ち上がってきた馬だった。芝のレースは2度目の挑戦。それが最長距離重賞のダイヤモンドステークスだった。
後藤浩輝騎手は何度も繰り返しこう言っていた。
「騎手は罪深い職業だ」
「一頭、一頭の馬に、過度の愛情、思い入れを持たないよう心がけている」
また、最初の疑問に立ち返る。
「後藤騎手が首つり自殺? まったく理由がわからない」
本当にそうなのか?
2002年春。後藤浩輝騎手の自伝が出版され、競馬雑誌で書評を書いていた私は、内容も確かめず買って帰った。
「後藤なら、まあ、笑かしてはくれるだろう」
ところが、そういう類の本ではなかった。
『意外に大変。』(東邦出版)の冒頭、後藤浩輝騎手はこう書いている。
自分でも、自分がどんな人間なのか、よくわからない。  後藤浩輝とは何者なのか。
 自分でもよくわかっていないのだ。
>(後藤浩輝『意外に大変。』東邦出版)
「やっぱり、スター・ジョッキーってやつはみんな、自意識過剰だな」と思いつつ読み進める。
騎手・後藤浩輝こそが僕の本質なのか。それとも、テレビカメラの前でおどける僕が本当の僕なのか。マスコミの取材に対して、真剣に喋っている自分が真実の姿なのか。それとも家で、無口になって奥さんに「自己チューね」なんて言われる自分こそが真の後藤浩輝なのか。
その時どきによって違う自分が現われるたび、僕はそんな僕に不思議なものを感じている
>(後藤浩輝『意外に大変。』東邦出版)
自伝は「僕は多重人格者です」という自己紹介から始まるのだ。
いろいろな場面によって、自分のなかで違うスイッチが入るような感覚と言ったらいいのだろうか。僕のなかには、確かに何種類かのスイッチがあって、それが場面場面で使い分けられている。大げさに言えば、1分1秒ごとに、僕は違う人格に変身する>(後藤浩輝『意外に大変。』東邦出版)
「なぜ、後藤浩輝は多重人格者になったのか?」
その理由も本の後半で明確に語られている。自分の「生い立ちの異常さ」を後藤浩輝は執拗なまでに書いているのだ。
私は、凶悪犯罪について心理学者や精神科医が下す「断定」コメントが大嫌いだが、彼らにこの本を渡せば、「自殺の理由」を簡単に解き明かし、滔々としゃべるだろう。
父が目の前に落ちてきた>(後藤浩輝『意外に大変。』東邦出版)
それが後藤浩輝の原点だった。

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数