【第6回】ジャイアンツV9 黄金時代のリラクゼーション 番外編 長嶋茂雄は「氣」の超人?|リアルホットスポーツ

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2015年10月8日
【第6回】ジャイアンツV9 黄金時代のリラクゼーション 番外編 長嶋茂雄は「氣」の超人?

昭和のスーパースター、長嶋茂雄もまた、合氣道の達人、藤平光一の弟子だった。打撃コーチ、チームメイトが懸命に取り組んだ「氣の野球への応用」は、「天才」長嶋茂雄の眼にはどんなふうに映っていたのだろう?

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※写真はイメージです。

ビートたけし、長嶋茂雄とゴルフに行く

1986年12月の未明、ビートたけしは仲間と共に写真週刊誌に殴り込みをかけた。いわゆるフライデー襲撃事件。

事件によって謹慎していたビートたけしは、電話をとると直立不動になった。
「聞くところによりますと、たけしさん、仕事がなくて、ポケッとしているんですって?」
電話をかけてきたのが、あの憧れのヒーロー、長嶋茂雄だったからだ。
「うーん。それなら、僕とゴルフをしませんか? 僕が招待しますよ」
たけしは感激し、当日、約束したクラブハウスで恐縮して待っていた。
現れたミスターは一言。
「あ、たけしさん! 今日はゴルフですか? 誰とですか?」
それだけ言うとミスターは絶句したたけしのそばを通り過ぎて行ってしまった。
「おかしいなあ。俺、長嶋さんに招待されたはずなんだけど」
呆然としていたたけしのもとにミスターが小走りに戻ってきて、
「ごめん、ごめん。今日、僕とだよねえ」

プロ野球選手の「メンタル」について記事を書くとき、スポーツジャーナリストである私はいつもこのエピソードを思い出してしまう。
こんなに天然で無邪気(で失礼)な「メンタル」はないなあ、と思うからだ。
話はそれで終わりではない。

コースに出る前に腹ごしらえをしようと、二人はレストランに入ってサンドイッチを注文した。
「ごめん。ちょっと、新聞社に電話をかけてくるから、待っててね」
それっきり、ミスターは戻ってこない。あまりにも遅いので「どこ行っちゃんたんだよ?」と店内を見渡すと、離れたテーブルでミスターがスパゲティを食べている。
目が合った。
またしても舞い戻ってくるミスター。
「ごめん、ごめん。ここにいたんだよねえ」
・・・うーん。この人にリラクゼーションは必要ない! これ以上、リラックスすることなどできない。その余地がない。

「天然のスーパースター」長嶋茂雄も藤平光一の弟子だった!

だから、『「氣」の威力』(藤平光一 幻冬舎)を手にとって、我が目を疑った。
巻末の座談会に長嶋茂雄が、「藤平光一の弟子」として出席していたからだ。
雑念を払うため「臍下の一点」に心をしずめていくミスター!?
そんなの想像できるはずがない!
座ったまま動かず、心の海の波を「二分の一小さくする」「さらに二分の一小さくする」と念じるミスター!?これは何かの間違いだ、と思い読んでみると・・・。
<正直いって、いまだに氣のことはよくわからないんです。>
・・・ああ、やっぱり!
すかさず、広岡達郎がつっこむ。
<そうはいっても、この人の体からは、たえず氣が出ているんだ。>
ミスターは<どうもぼくにはピンとこない>
<それは氣がつかないだけですよ。ぼくらから見ると、長嶋というのは、いつも氣が出ている、つまり積極的なんだ。><われわれ凡人は消極的です。クヨクヨ心配して、いざというときも、なんとか自分をはげまして、やっと体を動かす。ところが、長嶋はそれがすぐにできる。われわれと違って、あまりクヨクヨしない。生まれつきそういうものをもっている。大きなゲームに強いわけです。>
「長嶋茂雄こそ究極のポジティブ」という広岡の見解に異論はないだろう。しかし、それだけだろうか?

「こんばんは、長嶋シゲルです」

現役時代、ラジオの録音番組に出演したミスターは、開口一番、こう言った。
「こんばんは、長嶋シゲルです」
日本一の「ビッグネーム」を自分で言い間違えるスーパースターに対し、スタッフも「名前が違いますよ」とは言えない。
「すみません。機械の調子が悪かったようなので、もう一度はじめからお願いします」
スタッフが再度キューのサインを出すと、
「こんばんは、長嶋シゲルです」
満面の笑み。元気はつらつ。

自意識と闘う必要のない唯一のプロ野球選手

メンタル・トレーニングとは「自意識」との闘いである。
雑誌で読んだ安藤勝己(競馬騎手)の言葉は印象的だった。
「自分が勝ちたいと思っただけで馬に伝わる」
馬の心が騎手から離れて行ってしまう。リズムが狂う。すると勝てない。
安藤は常に自意識と格闘していたという。では、長嶋茂雄の場合はどうだろう?
「自分が長嶋茂雄でも長嶋シゲルでも、どっちでもいいじゃん」?
「今日、自分は長嶋シゲルであるような気がするので、長嶋シゲルでいこう」?
もし、そんな境地があるとしたら・・・これ・・・なんて言っていいか・・・長嶋茂雄には・・・自意識がない!?

藤平光一は自意識の持ち方を実に巧みに表現している。
<たとえるなら、私たちの生命は、ちょうど海のなかにもぐり、両手で海水を囲い、「これは私の水だ」といっているようなものだ。なるほど、自分の手で囲っているから、私の水といってもよいが、水から見れば、これは大海の水である。手をはなせば、すぐに海の水になるし、手をはなさなくても、海のなかで交流している海の水である。すなわち「私の水」ではなく、「私が囲っている水」にすぎないのである。>
天地も人の心身も同じ氣で満たされている。「自意識」「自我」と「外界」「環境」の間に壁はない。「藤平合氣道」の世界観では、自分は誰であってもいいのである。 <つまり、私たちの生命は、天地の氣を心身で囲っているのである。私の氣というものはもともと存在しないのである。氣はつねに天地と交流している。>
藤平光一は長嶋茂雄についてこう書いている。
<凡人にはマネのできないことだが、長嶋はもともと自然体だった。あれこれと不必要なことはいっさい考えず、自然に心と体が統一されているから、彼からは氣がいつもほとばしり出て、それが彼の野球をすばらしいものにしていた。>
藤平光一は長嶋茂雄を指導したが、そのときすでに、指導すべきことは何もなかったのだ。

ヒーローとは何か?V 私たちはなぜ、こう念じ続けてきたのか?
「長嶋茂雄になりたい!」と。

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数