【第3回】ジャイアンツV9 黄金時代のリラクゼーション その2 力を抜いて最強になる|リアルホットスポーツ

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2015年10月8日
【第3回】ジャイアンツV9 黄金時代のリラクゼーション その2 力を抜いて最強になる

「30分ほど座ってごらんなさい」――これが合気道の達人からのアドバイスだった。わずか30分で王貞治選手は極度のスランプから脱したという。

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※写真はイメージです。

「思考の中心」臍下の一点を知り、心をしずめるリラクゼーションの極意

バットがボールをとらえた瞬間、体全体に強烈な力が入るため、王貞治の奥歯はボロボロになった。
有名な伝説。王貞治は力でホームランを打っていた。
王が荒川博打撃コーチと出会うのはプロ入り4年目。それまでの成績はさんざんだった。
1年目 打率.161 本塁打7 三振72
2年目 打率.270 本塁打17 三振101
3年目 打率.253 本塁打13 三振72
「三振王」というニックネームがすでに定着していた。

荒川は前回記事「ジャイアンツV9 黄金時代のリラクゼーション その1 座り方」で解説した「統一体」を王貞治に伝授した。榎本喜八など荒川の弟子たちは「統一体」を体得すると劇的な成長を遂げたが、王貞治は違った。まったく打てないままだった。
荒川は王貞治を合気道の達人、藤平光一の道場につれていった。
「バットを構えている姿勢はいい」
「統一体」ができている。しかし……。
藤平は王の欠点をすぐに見抜いた。
インパクトの瞬間、右足に体重が流れ、統一体が消える。

心身統一の4大原則
(1)臍下の一点に心をしずめ統一する。
(2)全身の力を完全に抜く。
(3)体のすべての部分の重みをその最下部に置く。
(4)氣を出す。

王貞治のバッティングは(2)の「全身の力を完全に抜く」ができていなかった。
<心身統一の第二原則は「全身の力を抜く」であり、この状態が氣の出ている状態である。どちらかの足に力が入ったとたん、氣が止まり、心身統一の力は出ない。>(藤平光一『「氣」の威力』幻冬社)
……ちょっと待ってくれ。

バッティングは人間の体を軸にバットを振る回転運動である。さらにそこに体の軸を投手の方向へ移動させる平行運動が加わる。
こんな複雑な運動で「全身の力を完全に抜く」ことなどできるのか!?
藤平は荒川に問いかける。
<王さんは打つときに右足に力を入れている。なぜ、直してあげないのですか」
「それはわかっていますが、王のクセなのでどうしようもないのです」>
この荒川博コーチの言葉こそが「スポーツ」の限界を如実に物語っている。原理はわかっていても経験論が優先され、経験論こそが壁になる。
「王貞治はこれですごい成績を残してきたんだから」
「高校野球時代までは」という但し書きがつくのだが……。
合気道は「スポーツ」ではない。
<しかし、クセが直らないなどと誰が決めたのだろう。クセは、ほとんど後天的なものだ。赤ん坊のときから右足に力を入れていたわけでもあるまい。>
武道は極限まで原理にこだわり、原理に近づこうとする。道をきわめる。

最も不安定な状態で最強になる

「統一体」を作り何もしない状態で王貞治の体は盤石だった。どこを強く押そうと動かない。
「そこから右腕を上げて手首を曲げてみて」
たったそれだけの動きで王の統一体は崩れた。胡散霧消した。右肩を軽く押すと王の巨体がよろめいた。
「どうしてだかわかりますか」と藤平が問いかけても王には答えられない。
<「腕を上げるとき、腕を上げるという意識につられて、腕の重みを上げてしまうから、統一体が乱れてしまうのです。臍下の一点に心をしずめたまま、腕の力を抜くようにしてみなさい。そして、腕の重みは下だと考えれば、盤石の姿勢はくずれません」>
ここでも答えは言葉だ。
「体の重みは下にある」
「腕の重みは下にある」
この言葉を浮かび上がらせる。
「バッティングは言葉では表現できない」
「打ち方を口で言われてもわからない」
スポーツに常について回る愚痴だが、現実はまったく逆なのかもしれない。
「はじめに言葉ありき。体はそれに従う」
もし、王貞治がこの状態でホームランを打ちまくっていたとしたら、これ「奇跡」といっていいのではないか?

最も不安定な姿勢で地上最強になる

腕を動かしても王貞治の「統一体」が崩れなくなったとき。
王貞治の「クセを直すため」の指導で藤平光一は決定的なひと言を発する。
<「次に、右ももを上げてごらんなさい。これも腕の重みは下にしたまま、それをくずさないよう、ももの上げ下ろしを稽古してみなさい」>
このとき、藤平も荒川も、そして王貞治自身も、左足一本でボールを打つことなど夢にも思っていなかった。
しばらくすると、王は左足だけで立っても「統一体」が崩れなくなった。約束の時間が終わるころには、左足一本で15分間立ち続けてもびくともしない盤石の姿勢が出来上がっていた。
王貞治はこう言って藤平の道場を後にした。
<これなら、右足のクセが直せます。ありがとうございました>

荒川博、イチかバチかの大ばくち「片足で打ってこい!」

1962年7月1日。ベンチの荒川博コーチはヤケクソになっていた。
前日、王貞治は2打席2三振で交代させられていた。この日もノーヒットなら、川上哲治監督は王を二軍に落すに違いない。
「片足で打ってこい!」
大洋ホエールスのルーキー、稲川誠がふりかぶると、王貞治は右足を大きく上げた。体の軸が投手の方に倒れていく。
世界の野球ファンを驚嘆させた「フラミンゴ―スタイル・バッティング」が誕生した瞬間だった。
火の出るようなライナーがライト前に落ちた。
のちに荒川博はこう振り返っている。

「あの打席でヒットが出なかったら一本足打法をやめさせていた」
感触を得た王貞治は、次の打席でライトスタンドに消えるホームランを放った。
王貞治の、そして、プロ野球ファンの「夢のような日々」が始まった。

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数