【第22回】最後の「リングの爆笑王」角掛留造のやられっぱなし人生|リアルホットスポーツ

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2015年10月7日
【第22回】最後の「リングの爆笑王」角掛留造のやられっぱなし人生

「僕はもうボロボロです」。2002年4月。女子プロレスの「爆笑王」がリングを去った。テンカウントゴングを自身の耳で聞いた最後の小人レスラー、角掛留造。テレビの討論番組は彼に「差別と闘う男」というレッテルを貼ろうとしたが……。

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差別と闘うはずが「仕事ください」などとわけのわからないことを言った男

1995年12月10日。角掛留造は後楽園ホールの通路でタバコを吸っていた。黒い全身タイツ。6本の細い節足がつけられ、背中に赤い紙が貼られていた。
その夜の彼のリングネームは「セアカゴケグモ留造」。
ヌード写真集を出したばかりの井上貴子が通りかかり声をかけた。
「何やってんの?これ、何よ?」
「わかんねえよ。俺にも」
かくして角掛留造の荒井注を彷彿とさせる「いい顔」に磨きがかかっていくのであった。
試合前。今井良晴(ながはる)リングアナウンサーのコール。
「『朝まで生テレビ』に出演。差別と闘うはずが“仕事ください”などとわけのわからないことを言った男」

親の因果が子に報い、小型で特殊なこの体

差別?
角掛留造に「差別」と闘う理由などあるか?
ある夜、酒を飲みすぎた留蔵がくだを巻いていた。
「こう見えてもよ。俺は小型特殊免許を持ってんだぞ」
レスラーをやめても喰っていけるんだ、と言いたかった留蔵にスタッフのツッコミ。
「小型で特殊なのはあんただろ!」
この逸話から今井アナの定番のコールが生まれた。
「親の因果が子に報い、小型で特殊なこの体。東北の恥!神様の失敗作!」
このコールは明らかな「差別」だが……。

後楽園ホールの客席でこんなことがあった。
リトル・フランキーにわざとらしい大歓声を送った大学生風の男が、直後に薄笑いを浮かべた。
「でも、身体障害者だからなあ」
今井アナはこう言っているのだ。
「ヒソヒソと小声で言うんじゃない!大声ではっきり言え!」
口では「差別はいけない」と言えても、心の中に生まれたものは消せない。今井アナは、3人の小人を目にした観客の心の中を代弁している。大声をさらにマイクで増幅して。
差別用語に大笑いできるのは、今井アナがこう言っているからだ。
「私は留蔵を差別している。私は留蔵が大好きだ!」
スタッフ、女子レスラーら「家族」の愛に包まれた小人のリングは、差別も笑いも涙も誇りもある明るい世界なのである。

角掛留造に対し沸き起こるコールは、
「はーきょく!はーきょく!」
今井アナが留蔵の「ナンパの顛末」をリングで逐一報告するからだ。
「福島県本宮でナンパした女性と結婚間近!」
満員の客席から「ウオー!」という歓声が上がったが……次の後楽園ホール大会。
「青コーナー、先日紹介した福島県本宮の女性とものの見事に破局!今年も愛の無差別攻撃をくり返す男!」

1995年12月10日。後楽園ホール。
毒グモ留蔵は、体重100キロ超のブッダマンのボディーアタックで吹っ飛ばされ、タイツを下げた生尻を押しつけられ、レフェリーのスリッパではたかれ、飛び入りのアジャ・コングのヘッドバット(これは反則だ!)を受け、ゆっくりとぶっ倒れた。

2日前の神奈川大会。
会場をどよめかせたのは角掛留造のロープ最上段を何度も揺らしてのボディープレスだったが……華麗な技はこれで打ち止め。関節技に入ろうとして……。
「あれ!?こうだっけ?いや逆か?」
技をかけそこなって笑われ、リング下に落ちると……。
「汚いですからお下がりください!」(今井アナ)
この夜初めての場外乱闘にリングサイドで母親に抱かれていた赤ん坊が泣き出す。必死であやす留造。
「泣くなって!」
泣きやまぬ赤ん坊をなだめたり怒鳴ったりしているうちに20カウントが数えられ、留造、無念のリングアウト負け。場内爆笑。

小人プロレスの黄昏。それは「最悪の末路」だったのか?

1996年3月6日。ミスター・ポーン死去。
私がインタビューした日の30日後……。
「そりゃないよ」
うめく他ない。ミスター・ポーンは泣き言を一切、口にしなかったからだ。持病の心臓疾患についても語らなかった。
「プロレスやってよかったよ。女の子に出会えた、っていうアレもあるしね(笑)」
奥さんがくも膜下出血で入院した直後の出来事だった。息子のミスター・ブッダマンが家を訪れたとき、死後2、3日が経過していたという。
「笑いを取ることが絶対の人だった」(天草海坊主)
生涯を一芸人としてまっとうした。

2002年4月28日。フジテレビ屋外特設リングで角掛留造の引退試合が行われた。悲壮感などみじんもない。ミスター・ブッダマンを相手に、バカボンのパパの扮装で笑いを取った留蔵は、自身のことよりリトル・フランキーの体調を心配していた。
「僕はもうボロボロです」
「リトルは『お前はなんでもできるんだから、お前の好きなようにやったらいい』と言ってくれたんですが……。そのリトルがね……医者から『プロレスはもうやめた方がいい』と言われたようなんです」

2002年8月13日。リトル・フランキー死去。看取る者は誰もいなかった。
重い肝臓障害を抱えながら、それでも……。
「大事なのは明日のリング」
「できます!」
そう言い続けた生涯だった。
待っていたのは最悪の末路。そう書くしかないのだが……。

暗くガラガラの体育館に響き渡った角掛留造の声が今も私の中にある。
「だから、泣くなって!」
【連載】魔術とリアルが交錯する「プロレス怪人伝」

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数