【第1回】怪奇派のなかの怪奇派、プロレスラー・ミッシング・リンク|リアルホットスポーツ

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2015年8月7日
【第1回】怪奇派のなかの怪奇派、プロレスラー・ミッシング・リンク

1995年春。カナダ出身のプロレスラー、ミッシング・リンクが初来日した。「失われた環」「進化論の謎」「サルと人間の中間にいた幻の生物」……ハンサムなパワーファイター、デューイ・ロバートソンはなぜ、44歳になって「類人猿」キャラを選び変身したのか?

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※写真はイメージです。

日本来襲!「人間と類人猿の間にあると推測される動物」

小さな写真の中に顔が緑色の大男が写っている。
本当に小さな写真。男は前頭部にそこだけ残っている髪の毛を掴んで首をかしげている。写真に添えられた言葉。
<オールド・ファンにとっては待望の来日、ミッシング・リンク。人間と類人猿の間にあると推測される動物なのだ>(『週刊プロレス』1995年4月11日)

1995年4月2日。
東京ドームでは「夢のオールスター戦」が行われていた。
前田日明、三沢光晴、橋本信也、高田延彦、神取忍ら各団体のトップが初めて集い、ドーム球場は6万人の歓声を包みこんでいた。

東京ドームのメインゲートを出て後楽園ホールがあるビルまでは歩いて1分かからない。
落書きだらけの薄暗い階段を上り、扉を開けると、そこにも「夢にまで見た」光景があった。全身緑色の怪人がライトに照らし出されていた。
「主要タイトルも取れず、プロレスの裏街道を歩き続けた怪奇派レスラーの来日を夢にまで見た?」
「大の大人がこうだから、この国はダメなんだよ」
うーん。この意見は正しい。私自身もそう思う。

「類人猿」「緑色の怪人」ミッシング・リンク。
本名、デューイ・ロバートソン。
それが「待望の来日」でなかったことは、当日の試合表を見れば一目瞭然だ。怪人の舞台は前座の第1試合。タッグマッチ10分一本勝負。
「ミッシング・リンク選手の初来日を記念して、ウィルキンスJr、星川尚浩組からプレゼントの贈呈です」
自分で持ってきた反則攻撃用の椅子に神妙な顔で座ったリンクに段ボール箱の中身がぶちまけられた。プレゼントは薄茶色の大蛇だった。
「ヘビをけしかければ、おサルはおびえて逃げ惑う」
そんな思惑で、弱小団体WARがわざわざお金をかけ、前座の試合を盛り上げようとしたはずなのだが……。
ミッシング・リンクは動じない。頭の上から落ちてきたヘビを首に巻いて立ち上がる。喜んでいるわけでもなさそうだ。無表情。
星川は仕方なく、奪い返したヘビをヨネ原人に向かって投げつけつける。逃げ惑うヨネ。超満員の後楽園ホールに失笑と小さな悲鳴が響く。

クルクル回る緑色の何者か

私がミッシング・リンクを初めて見たのは、テレビ東京が1980年代半ばに放映していた『世界のプロレス』だった。
サルとホモサピエンスをつなぐ「失われた環」というギミックも強烈なら、そのファイトスタイルも特異だった。
対戦相手をまったく見ない。ところかまわずグルグルと回転する。自転していると思っていると、いきなり対戦相手に突っ込んでいく。
やっと組み合う? ここからレスリンが始まる?
ところがそうじゃないんだな。
ヘッドバット(頭突き)を一発お見舞いし、またしても「自転」に戻る。技はそれだけ。ヘッドバットのみ。相手の頭を掴んでぶち込むのではなく、手で自分の髪の毛を掴んだまま走っていって頭からぶつかる。
「なんなんだ? こいつ」
もちろん、第一印象は「?」だったが、ただ回るだけの緑色の何者か、の印象は鮮烈なものとして私の中にずうっと残っていた。
理由は簡単。ミッシング・リンクを見たのはそれ一回きりで『世界のプロレス』は二度と彼を取り上げようとはしなかったからだ。ザ・ロード・ウォリアーズ、スタン・ハンセンらスターが主役のテレビ番組、「ミッシング・リンクでは視聴率が稼げない」のだから当然のことではあるが。
「それでもミッシング・リンクは今もどこかで回っている」
当時、売れないパンク歌手だった私は奇妙な感覚にとらわれていた。
「うらやましい」と思ったのだ。
ヘッドバットしか技がない男がライブでお金を稼ぎ、メシを食い、宿を借り、旅を続けている。そんな人にもなれない自分……。
「おサルになりたいの?」
そう聞かれると困ってしまうが。

ハンサムな愛国者はなぜ、44歳で「類人猿」に変身したのか?

彼を初めて見てから、10年近い歳月が流れていた。
1995年4月2日。後楽園ホール。
今、私の目の前にいる緑色の男は何歳になったのか?
「待望の来日」の顛末は1行で書くことができる。
「ミッシング・リンクは何もしなかった」
試合の序盤、リンクのパートナー、こちらも全身を緑色に塗ったヨネ原人が一方的に痛めつけられる展開となり、リンクはただコーナーに突っ立っているだけだった。彼から客席に放たれるメッセージがあったとしたら……。
「自分はなぜ、ここにいるのか?」
やっとリンクの出番がやってきた。私は念じた。
「回れ! リンク! 回れ!」
ミッシング・リンクは回らなかった。のそのそと歩き、星川のバックを取った。
「ヘッドバット以外の技もできるんだぞ」
リンクは、基本の動きを重んじる目の肥えた日本のファンにアピールしたかったのだろう。いきなりのアトミックドロップを披露したのだが……これがなんともぎこちなく不完全なものとなった。フックが甘い。体が密着していない。
で、次の技は……やっぱり、ヘッドバット。
超満員の後楽園ホールは静まり返っていた。
あとは場外で飛んでくる3人のボディーアタックをただ受け、耐え忍ぶのみ。星川はリンクを客席に叩き込もうとしたが、リンクはうまく走れなかった。
「ダメだ、こりゃあ」
そう思う他ない。
スターが集う東京ドーム、6万人の大歓声を引き合いに出し、
「光あるところに影がある」
そう書くこともできる。
この男、ダメでマイナー。あるいは、ダメだからマイナーなまま。
でも、それだけなのだろうか?
ネット百科事典「ウィキペディア」の記述が正しいなら、このとき、ミッシング・リンクは56歳。2015年の今、この原稿を書いている私も同じ年になった。
ハンサムな愛国者、デューイ・ロバートソンは1982年に消えた。
老いたデューイ・ロバートソンは、ずうっとミッシング・リンクとして闘い続けた。「類人猿」として生き続けた。彼は緑色になった自分が嫌いではなかった。
【連載】魔術とリアルが交錯する「プロレス怪人伝」

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数