【第7回】生まれて初めてアイルトン・セナが「悪役」になる条件がそろった|リアルホットスポーツ

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2015年7月23日
【第7回】生まれて初めてアイルトン・セナが「悪役」になる条件がそろった

1990年日本GP。予選が終わり、ポールポジションを獲得したアイルトン・セナは突如、こう言い出した。「スタート位置を左右逆にしてくれ」「インは埃で汚れていて滑りやすい」。スタート直後の事故でチャンピオンが決まった「8秒のドラマ」の真相とは?

フリーライター
  
ayrtonsenna07
※写真はイメージです。

残り2周でセナがナニーニを抜き去る「鈴鹿の奇跡」

「最善の決定は私の決定だ。私の決定は・・・私の決定はいつも正しい」
ジャン=マリー・バレストル

1989年鈴鹿。残り6周でクラッシュしたアイルトン・セナとアラン・プロストの動きは、まさに対照的だった。
手のひらを上に向け「あきれた」という表情のプロスト。
「すぐにフロントウイング交換の準備をしてくれ」(無線交信)
セナはプロストを無視し、それでも前を向いていたが・・・。
エンジンがかからない。セナは前方を指差し、スタッフが手でタイヤを回した。
「無駄な抵抗だ」
ため息のなか、前方が大きく歪んだマシンが息を吹き返し、シケインの退避路を駆け抜けていった。
プロストはマクラーレンのピットには戻らず、コントロールタワーに向かった。ジャン=マリー・ブリストル会長がいる場所へ。
セナはぶっ壊れたマシンでピットイン。数メートル離れたところを3位のアレッサンドロ・ナニーニが駆け抜けていく。
このとき、残り2周で奇跡が起きることなど誰が想像しただろう。

表彰式が始まらない? セナが奇跡を起こしたから?

「おい!」
テレビに向かって私は怒鳴らずにはいられなかった。
それまで、ただただ「すげえ、すげえ」と唱えるうすらバカと化していた私だが・・・。
「お前ら! 何やってんだ!?」
表彰式が始まらないのだ。「前例がない」とアナウンサーが伝える。20分経過。
アイルトン・セナ失格。
数億人が見た「奇跡」を数人の「政治」が消した。
失格の理由とされた「シケイン不通過」はすぐさま全否定されている。
マクラーレンが訴訟の証拠として公表するまでもない。私のホームビデオの中にも残っていた。
前年も今年も複数のマシンがシケインを通らず、退避路を通過してレースに復帰していたが、誰ひとり制裁を受けた者はいない。
マクラーレンの理詰めの抗議に対し、「政治」がやったのは「セナは危険なドライバー」というプロパガンダ(宣伝)だった。
記録映画『アイルトン・セナ~音速の彼方へ~』を見直してみて驚いた。
カメラの前のアラン・プロストが・・・。
「アイルトンの問題は、『自分は死なない』と思っていることだ。神を信じているせいだが、他の者にとっては危険だ」
「セナ=狂信者」言説を世界中に伝道したのは、アラン・プロスト自身だったのだ。
ドライバーズチャンピオンになった回数は「セナ1回」に対し「プロスト3回」。だから、プロストが正しい? 
「どっちが速いかテレビを見りゃわかる」
数億人の声を無視して、FISAはセナのスーパーライセンスを取り上げた。

モータースポーツ界の「独裁者」が下した「民主的決定」?

1991年。F1に復帰したセナの質問に対し、ジャン=マリー・ブリストルが真顔で答えているシーンには笑った。ドイツGPのドライバーズ・ミーティングでのこと。
「最善の決定は私の決定だ。私の決定は・・・私の決定はいつも正しい」
こいつ、やっぱり「元ナチ親衛隊」だよ。360度どこから見ても独裁者。
このシーンのどこがギャグかというと、直後に「言い切っちゃまずいかな」という顔をしたブリストルが、
「私の決定はいつも正しい。・・・私の決定は・・・“民主的投票”だ」
遅いよ!
セナがライセンスを剥奪される事態に発展した1989年日本GPのドライバーズ・ミーティングはブリストルの次の言葉で始まった。
「世界中のドライバーが君たちをテレビで見ている。愚かなことに君たちを手本と考えているからだ。大間違いだが、それが現実だ。もう一度言うが、危険な行為はするなよ。いいか? 君たちにかかっているんだぞ」
FISA会長が我らが英雄たちをここまで見下げていたとは・・・。
F1パイロットはショーを盛り上げる役者にすぎない?
それだけじゃなく、ショーに熱狂している数億人は全員バカ?
このじいさん、凄すぎる。

「セナが乗ったマシンに乗るなら、念入りに消毒する必要がある」ネルソン・ピケ

「去年はアイルトンがヘマをやらかした」
1990年日本GP。ドバイバーズ・ミーティングでそう切り出したのは、ネルソン・ピケだった。同じブラジル出身のドライバーだが、セナとピケはまさに犬猿の仲だった。
「またくり返すのか? シケインを通れなければ審査員が止めろ。後続車がなければ行かせろ。方向を変えて後ろに進むとか、後続車の流れに逆らうのは危険だ」
セナがキレたのはピケの言葉ではなかった。ドライバーの全員がピケの提案に「イエス」と答えたとき、
「こんなの我慢ならない。去年、あんなことが起きたのに・・・今の出来事がその証明だ。僕を無視して他の連中で決めている。去年の僕への処分もそうだった。悪いけど失礼するよ」
私はこう考える。アイルトン・セナは真のファイターだったからこそ、「ショーの一座」の中で孤立していた。
そして、金力を含めた「力の拮抗」が「スリリングなレース」を生み出す、という一見するともっともな考え方がF1を衰退させていった。

「鈴鹿のグリット位置を左右逆にしろ」はセナのわがまま?

セナを孤立させる出来事はそれだけではない。
「スタートのグリット位置を左右逆にしてほしい」
水曜日の段階でセナはFISAに申し入れていた。
鈴鹿での大レースで予選1位のドライバーが1コーナーまでの距離が短いアウト側からスタートした例はない。セナの主張にホンダを応援する日本のファンも首をかしげた。
マスコミが伝えたセナの主張は「埃」だった。
「スタートから第1コーナーにかけて埃で汚れていて滑りやすい」
予選を終え、ポールポジションを獲得すると、セナは突如、そう言い出した――マスコミの報道だけ見ると「セナのわがまま」以外のなにものでもない。
真相は「鈴鹿に限らず、予選1位が2位よりも不利にならないようにしてほしい」とセナは一貫して主張していた、ということだ。特に鈴鹿はポールポジションが実際に車が走るライン上にない。2位のプロストのスタート位置はライン上にあり、タイヤかすがこびりついた路面はダッシュがかけやすい。
ミーティングでのセナの言葉。「僕を無視して他の連中で決めている」とはそういう状況を指していたのだ。
しかし、テレビカメラは「経緯」を追わない。ただ、ドライバーの言葉をそのまま映す。
「ブリストルの指示に決まっている。何度も体制に裏切られてきたが、今日は僕のやり方でいく。どうなろうとも」
このセナの言葉は、日本のテレビでは放映されていない。放映されたとしてもファンは「?」だったに違いない。わけがわらない。ちんぷんかんぷん。
生まれて初めてアイルトン・セナが「悪役」になる条件がそろった。あるいは、何者かが条件を整えていった。
セナの「予言」は放送禁止となった。

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数