【第4回】「進化論の謎」プロレスラー、ミッシング・リンク編、ここに完結|リアルホットスポーツ

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2015年8月10日
【第4回】「進化論の謎」プロレスラー、ミッシング・リンク編、ここに完結

「バンプ(受け身)の天才」でもあったテクニシャン、デューイ・ロバートソンは44歳になり「人間とサルの中間にいたと推測される幻の生物」となった。「幻の生物」を発見し、 捕獲し、テキサス州のリングに連れて来たのは誰だったのか? 「進化論の謎」ミッシング・リンク編完結。

フリーライター
  
pro-wrestling04
※写真はイメージです。

プロレスラーは生涯、プロレスラーであることをやめることができない

そもそもの疑問に戻ろう。
ハンサムなパワーファイター、デューイ・ロバートソンはなぜ、44歳になって怪奇派、ミッシング・リンクに変身したのか?
こんな情報を目にしたことがある。
「デューイ・ロバートソンは一度、引退を表明した。その後、テキサス州ヒューストンのリングにミッシング・リンクが現われた」
ミッシング・リンクはドロップキックができない。グラウンドの展開につき合うことはない。もちろん、関節技など持っていない。

1995年春。
「待望の初来日」だったにもかかわらず、客席に叩き込まれた推定56歳のミッシング・リンクは「うまく倒れる」ことすらできなかった。
あれが本当に「バンプ(受け身)の天才」デューイ・ロバートソンであるなら、「変わり果てた姿」と書くしかない。

推理その1。
パワーとテクニックを兼ね備えていたデューイ・ロバートソンはリングで大きなけがをした。
おそらく、足の故障。動けなくなり、引退を余儀なくされた。
しかし、プロレスラーの辞書に「引退」の2文字は実はない。大仁田厚、テリー・ファンクがそうだったように、プロレスラーという人種はリングを一度去っても必ず舞い戻ってくるものだ。
『レスラー』というそのものズバリの題名の映画が描いたのは、そんなプロレスラーの業だった。主人公は、プロレスをやめ、父親として生きる決意をするが、プロレスラーはプロレスラーであることをやめることができない。リングが唯一の居場所なのだ。

ここからは推測である。
他のプロレスラーがそうだったように、デューイ・ロバートソンも「第二の人生」を歩み出すことができない。リングの魔法にかかった人間は、シャバの「普通の仕事」を続けることができない。
そんなデューイに昔の仲間が声をかける。
「足の具合はどうだい?」
デューイは答える。
「生活するだけなら不便はない。でも、ドロップキックはもうできない」
「ギミックをすべて変えて、ヒューストンに来ないか? 技は……そうだな……ヘッドバットができればそれでOKだ」

サルよりは進化している しかし、人間ほど進化してはいない

推理その2はもっと単純な理由。
「時代の趨勢」だ。

1980年代に入り、顔にペイントを施した怪奇派レスラーが急増した。その代表が「暴走族」ギミックのロード・ウォリアーズであり、「ゲイ」ギミックのエイドリアン・ストリートだった。
前座でくすぶっていたデューイ・ロバートソンもまた、ロード・ウォリアーズ、エイドリアン・ストリートの人気爆発を見て、「2匹目、3匹目のドジョウ」を狙った。
これが最も受け入れやすい説明だと思うが……それにしても、である。
ミッシング・リンクの「すごすぎる」ギミックを考えたやつは誰?
漫画『プロレス・スターウォーズ』でリンクのマネージャー、プリングル2世はこう語る。
<ホーッホッホッ、いいかね、日本のしょくん。試合の前に、ひとつおもしろい話をしてあげよう…!
人類史上最高の権威といわれる天才ダーウィンは1859年、進化論「種の起源」を発表したんじゃが、その中でダーウィンは、人間の祖先はサルだ、と言ったんじゃ>
あの「愚直そのもの」だったデューイ・ロバートソンが、こんな話を思いつくか?
<ところが、その時、世界中の人びとは、サルが人間になるわけがない、と反論したわけじゃ…>
アメリカに未だ影を落とす科学とキリスト教の対立である。
<そこで、ダーウィンは考えた…! サルと人間との進化の間をつなぐ、もうひとつの生物がいるはずだと…つまり、サルよりは進化をし、かといって人間程には進化していない生物の存在じゃな。>

私が度肝を抜かれたのもこの壮大な進化論のドラマだった。シンプルなキャラとアクションが売りのテレビ番組『世界のプロレス』でも解説者がとうとうと語り出し……。
「プロレス中継なのに、なんでこんな話が出てくるの!?」
<しかし、ダーウィンの考えたその生物は、現在になっても、その実体さえはっきりとはつかめていない、ということなんじゃ。
それでも学者たちは、その生物が必ずいる、と信じ、今も研究しているそうじゃ。
そう! “幻の失われた生物”を求めてな。クックック…>
スポーツのファンなら、こう言うかもしれない。
「ウソに決まってるんだから、そんな話、どうでもよろしい」
プロレスはスポーツではなく「インチキのショー」だ。
<そしてっ! ワシはついに発見したんじゃよ。その“幻の生物”をなっ!>

漫画家、みのもけんじ先生の見解はこうだ。
「ミッシング・リンクのギミックは、マネージャーのプリングル2世が考案した」
パーシー・プリングル2世は、世界最大のプロレス団体WWEの名物マネージャーだった。
前職はもちろんプロレスラーだが、引退後、軍人になり、除隊後、葬儀屋になったという奇妙の経歴の持ち主。
「墓掘り人」ジ・アンダーテイカーのマネージャーとしてこれほどふさわしい男はいなかった。白塗りの顔に喪服、手に骨壷というスタイルが定番。
プリングル2世はミッシング・リンクのマネージャーを務めたことがあるというが、「ギミックを作ったのは彼じゃない」と主張するのがライターのジミー鈴木だ。
前出『これぞプロレス ワンダーランド』のなかで鈴木は、怪奇派の台頭を次のように分析する。
「成功したペイントレスラー、怪奇派の後ろには必ず優秀なマネージャーがいる」
その男の名は、スカンドル・アクバ。
1966年から「アラブ人」ギミックで大活躍した「元祖怪奇派」のひとりである。スカンドル・アクバはアラビア語で「アレクサンダー大王」のことだ。
レスラーとしてはトップに上り詰めることができなかったアクバだが、マネージャーとしての業績は、おそらく史上最高だろう。
アブドーラ・ザ・ブッチャー、ディック・マードック、ザ・グレート・カブキ、スティーブ・ウィリアムス、スティーブ・オースチンなどなどをブレイクさせた彼は、武藤敬司またの名を「ザ・グレート・ムタ」のアメリカでの世話役も務めている。
そして、1980年代初めのアクバの「傑作」が、ミッシング・リンクとジャイアント・キマラだった。
「すごいやつ」と言う他ない。誰も「すごい」と書かないけどね。

迷わず「行く道」を行け 行けばきっとわかる

1980年代。
人はあの時代をどんなふうに記憶しているのだろう。
ミッシング・リンクのキャリアのスタートは、私のバンド活動と重なっている。
17歳でセックス・ピストルズを聴き上京した私は、パンク・ロックの衰退とMTV(ビデオにパッケージされたポップ・ソング)の台頭にうんざりしていた。
「パンク・ロックのその次」を模索していた私のバンドも生活できる金は稼げぬままだった。
悶々とする日々のなか、テレビのプロレス中継、プロレス雑誌、プロレス漫画は数少ない「救い」だったのかもしれない。
とにかく、プロレスの世界に逃げ込めば、一息つくことができた。外国人レスラーの「旅の暮らし」がうらやましかった。

アントニオ猪木は詠った。
<この道を行けばどうなるものか>
道の先に待ち構えているのは、死である。
デューイ・ロバートソン、享年68歳。
晩年のミッシング・リンクは、抗がん剤治療のためか、ヘッドバットを放つときにつかむ髪の毛がすべて抜け落ちていた。
三沢光晴、享年46歳。
パーシー・プリングル2世、享年58歳。
<危ぶむことなかれ 危ぶめば道はなし>
それでもプロレスラーは「行く道」を行くだけだ。
<迷わず行けよ 行けばわかるさ>
【連載】魔術とリアルが交錯する「プロレス怪人伝」

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数