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お前は今日から「ゲロ」だ! さあ吐くぞ! こいつがゲロをまき散らすぞ!
ギミック誕生の瞬間をとらえた映画がある。監督のバリー・W・ブラウスティンが世界最大のプロレス団体WWFを訪ねたとき、ボスのビンス・マクマホンは、ダレン・ドロズドフの売り出しに取りかかっていた。
ダレンは元プロフットボーラー。デンバー・ブロンコスのディフェンシブエンドだった。
中産階級の幸せな家庭で育った典型的なエリート・スポーツマンである。
オフィスを訪ねたダレンにビンスは「決まったよ」と告げる。
「君が自由自在にゲロが吐けるということから、リングネームは必然的にこうなる。
Puke(ゲロ)だ」
2000年に公開された映画『ビヨンド・ザ・マット』がなかったたら、プロレスラー「ピューク」は忘れられていただろう。
<WWFの巨大さを金額に直すと10億ドル。ニューヨーク・ニックス、テキサス・レインジャーズ、ニューヨーク・メッツより高い>(ナレーション)
巨大企業の一室で「お前はゲロだ」と言われているのに、ダレンは「うれしいな」と言って笑っている。
「やるか?」
「もちろん」
「では、技を見せてくれ」
ビンスはゴミ箱をテーブルに置く。
元リング・アナウンサーの口調でビンスが実況する。
「吐くぞ! 吐くぞ! こいつがゲロを吐くぞ! ゲロだぞ! 吐くぞ! ゲロをまき散らすぞ! アッハッハッハッハ」
おそらく、史上最速で消えた怪奇派誕生の瞬間だった。
「対戦相手やレフェリーにゲロをぶっかけた後で、リングアナがお前の名を告げつる。(ドスを効かせて)ピューク!」
ビンスは本気だったようだが、そんなこと、できるわけがない。WWFのプロレス中継は夕食時に放映されている。
「アニマルもいれば、ホークもいれば、ピュークもいる」
こちらは実現した。
1998年5月。ピュークはLOD2000(ロード・ウォリアーズ)と組んでデビューし、D・O・Aを一蹴している。
ドロップキック、フットボールスタイルのフライング・ラリアット、仕上げはジャンプしてのパワーボム。これがデビュー戦とは思えぬパワーとバランスの良さを見せつけた。
ところが……。
最初の大一番といえる同年7月の対ホーク・ウォリアーズ戦(引き分け)では名前が「Darren”Droz”Drozdov」となっている。
「ゲロ」は2カ月も持たなかった?
巨大エンタメ企業WWFの「ポリスマン」「シューター」は誰だ!?
この試合は「WWF史上最悪のトーナメント」と呼ばれた「Brawl for all」で行われている。1分3ラウンド。グローブ着用。なぜか、寝技禁止。
日本、アメリカで総合格闘技ブームが起きたとき、WWFもまた、
「うちのレスラーは真剣勝負でも強いんだぜ」
そう言いたくて始めた試合だった。
それがそもそもの間違いなのだが、「プロレス最強論」をまだ無邪気に信じていた私は興味津々で見ていた。
「WWFのポリスマンは誰か?」
長年の疑問にこのトーナメントが答えを出してくれるのではないか、と考えていたからだ。
プロレス用語「ポリスマン」についてルー・テーズはこう記している。
<(ジョージ・)トラゴスを“闇の帝王”と書いたが、彼は私をコーチすること以外は、プロモーターのトム・パックスにとって必要のなくなったレスラーのスパーリング相手となり、彼らをクリプル(腕や足の骨を折って使いものにならなくすること)することによってセントルイスから追放する役割も請け負っていた。プロが相手のときばかりではない。トラゴスのスパーリングには“容赦”というものがなく、少しでもプロレスラーをなめた態度に出たアマチュア・レスラーが、何人スパーリングで大ケガをしたかわからない。この当時は各マーケットのプロモーターが“ポリスマン”と呼ばれたシュートを一人か二人抱えていたが、トラゴスはアメリカ最大のプロレス・マーケットであったセントルイスの“ポリスマン”であったと考えてもらうとわかりやすかろう。>
<テリトリーを健全に保つためには、ポリスマン(トラゴス)に最大限の権限が与えられており><ジョージ・トラゴスこそ、パックスにとって最も頼りになる“用心棒”であった>(『鉄人ルー・テーズ自伝』ベースボールマガジン社)
WWF史上最悪のトーナメントは「ゲロ」売り出しのために準備された?
これは1930年代のお話ではあり、20世紀末、エンタメ企業化したWWFに「ポリスマン」が存在するのかどうかもわからなかったが……。「総合格闘技で活躍したダン・スバーンを破って、ブラッドショーが優勝する。なぜなら、ブラッドショーこそ、WWFのポリスマンだからだ」
実際に株式投資が副業で経済評論家でもあった「金の亡者」「へなちょこなチャンピン」のブラッドショーが「本当は一番強い」と私は考えていたが、予想は大外れだった。
「ゲロ」が準決勝まで勝ち残る大健闘を見せたのである。
キャリアたった2ヶ月であるにもかかわらず。「ゲロ」を破ったブラッドショーは決勝でバート・ガン(ごとき)にノックアウトされてしまった。
少なくともこれだけは言い切れる。
ピュークは強くてうまいプロレスラーだった。
映画『ビヨンド・ザ・マット』にピュークの闘いは記録されていない。エンドロールに入場シーンが映し出されるだけ。
<ピュークはイマイチだが、WWFのレギュラーになった>(ナレーション)
しかし、それで終わりではなかった。
<映画の完成の3週間後、ダレン・ドロズドフは試合中の事故で半身マヒになり、現在リハビリ中>(字幕)
ダレンはリングに戻ることができなかった。
ピュークがリングにいた時間。推定約2カ月。
ダレン・ドロズドフがリングにいた時間。約1年8カ月。
ビンス・マクマホンはひどいやつ?
ダレンはWWE(WWF)のスタッフ兼コラムニスストとして働いている。
【連載】魔術とリアルが交錯する「プロレス怪人伝」