【第6回】イラク軍はクエートに侵攻。戦争がひとりのプロレスラーの運命を変えた|リアルホットスポーツ

  • ウェブライターを大募集!ぜひ応募してください
3,217 views
2015年8月11日
【第6回】イラク軍はクエートに侵攻。戦争がひとりのプロレスラーの運命を変えた

1990年8月。イラク軍は隣国クエートに侵攻した。「鬼軍曹」サージェント・スローターが「サダム・フセインに魂を売った元米国軍人」として突如、WWFのリングに乱入。ちょうどその頃、もうひとりのスーパースター、アントニオ猪木は単身、バグダッドへと飛んだ。

フリーライター
  
pro-wrestling06
※写真はイメージです。

1991年「レッスルマニア」史上最低のメインエベント

先頭にはイラクの旗。旗をぶんぶんふり回すヒゲ面の大男。静まり返った超満員の客席に太鼓の音のみ響く。
問題はそのあとにつづくさらにでかい男である。
この男、ちょっと前まで米陸軍の「鬼軍曹」だったのに……。
なぜ、米国軍人がイラクの軍服を着ているの?
あとにも先にも、こんなアホらしい大一番はなかった。
1991年3月24日。ロサンゼルス・スポーツ・アリーナ。世界最大のプロレスの祭典、レッスルマニアのメインエベントがこれなのだ。

男の名は、サージェント・スローター。本名ロバート・リーマス。
スーパー・デストロイヤー・マークIIとして暴れ回っていたリーマスは、ビンス・マクマホン・シニアに招かれてニューヨークに渡った。
「鬼軍曹」サージェント・スローター。
このギミックはWWFが準備したものなのだ。

マイク・パフォーマンスは新兵に過酷な訓練を課すキャンプの軍人そのもの。
テレビの世界で「スラングの解放」をやってのけたのもスローターだった。
スローターは「二等兵」ギミックの手下を次々に誕生させ「小隊」を形成。
試合中に部下がミスをすると怒鳴りつけ、試合が終わっていないのに部下に腕立て伏せをさせてただ消耗させる。
「鬼軍曹」ギミックはバカバカしいまでに徹底していた。

しかし、彼の経歴をみると「ちょっと待て」となる。
大学を卒業後、1年間バージニア州の海軍に所属。除隊後、バーン・ガニアのコーチを受けプロレスデビュー。
リーマスは軍に1年いただけで逃げ出しているのだ。しかも、州兵。陸軍ではなく海軍。実戦経験などあろうはずがない。
「だからなのか?」

1990年。湾岸戦争勃発。
イラクの旗がWWFのリングに翻った。
旗を振っているのはスローターのかつての宿敵、アイアン・シーク。
「鬼軍曹」VS「反米アラブ人」の闘いは名物カードとなり、スローターは、ハルク・ホーガンに次ぐWWFナンバーツーの座を手に入れている。
シークや「サダム・フセインの友人」ジェネラル・アドナンが敵国の国旗を振り回したとき、サージェント・スローターは、真っ先にリングに飛び込んで来なければならない男だった。
スローターが「アラブ人」二人をぶっ飛ばし、イラク国旗を引きちぎれば、間違いなく、客席は爆発する。
ところが……。

独裁者から「靴をもらった」だけで敵国に魂を売った「鬼軍曹」!?

「サダム・フセインは偉大な男だ」
「全身アーミー」のスローターが、なぜ!?
「俺はフセインからブーツをもらった。これだ!」
指差すけど……普通のリングシューズ。イラク陸軍の軍服の色が入っているだけ。
敵前逃亡、どころじゃない。戦争の最前線にいるのに、突然、振り返り、戦友たちに機関銃をぶっ放した男、スローター。
「靴をもらったから敵国イラクに心を売った? まさか、そんなわけないよね」

国会図書館にこもり、私はあらためて当時のプロレス雑誌をめくってみた。
「四半世紀前のダメな試合のために!?」
笑わば笑え。バカのことをしている、という自覚はある。
記事はある。あるんだけど、どこまで読み進めても「スローター変身」の理由がわからない。どこにも書いていない。次の一節には笑ったけど。
<スローターはイラク軍人と称するアドナン将軍をマネージャーに“サダム・フセインに魂を売り渡した元米国軍曹”の触れ込みで売っているが…湾岸戦争勃発後、ファンの憎悪は高まるばかりで、スローターには常に20人のボディーガードが付き、WWFは「当社はスローターのスタイルに関知しない」と異例の声明を発表したほど。>(『週刊ゴング』1991年2月21日)
どういうこと?
「私ら(WWF)はスローターの『新ギミック』を作ってはみたが、うまく作り込めなかったので、もう知らん」ってことじゃないの? これ。

1991年の「レッスルマニアⅦ」は、10万人収容のメモリアル・コロシアム(ロサンゼルス)で行われるはずだったが、直前になって16000人収容のスポーツ・アリーナに変更された。
<“逆テロ”発生か? スローター暗殺説浮上! 湾岸戦争の余波で レッスルマニア開催地変更>(『週刊ゴング』2月28日)
<WWF王者スローターが、アメリカ人グループによるテロリスト集団から暗殺されるのではないかとまことしやかにウワサされている。スローターを守る(?)ためWWF側がコロシアムでは警備を万全にできないと判断したのも会場変更の理由の一つだ。>
ウソつけ!
「プロレス版湾岸戦争」が不人気でチケットがまったく売れなかったのだ。

「一夜にして兵を引け!」独裁者を一喝するために砂漠を走るアントニオ猪木

サージェント・スローターが「新ギミック」を持て余していた頃、まったく逆の道を突き進んでいたプロレスラーがいた。
「サダム・フセインの立場に立って考えたかった」
イランに向かう機上で『三国志』を読んでいた男の名は、アントニオ猪木。

このとき、「日本人政治家」猪木の仕事はすでに終わっていた。
官僚、政治家の妨害を振り切り、単身、イラク入り。
出国できず「人質」状態になっていた在イラク邦人の帰国をフセインの息子ウダイらに直談判。
「平和の祭典」をバグダッドで開催。
サッカー、米国人女性歌手らのコンサート、ボクシング、プロレスで「サラーム」(アラビア語で平和の意)を訴えた。
2日後、日本人「人質」解放。猪木とともに「ダー!」(ガッツポーズ)を決める日本人ビジネスマンとその夫人たちの姿がスポーツ紙の一面を飾った。この一瞬こそ「政治家」猪木の絶頂期だった。

バグダッド空爆はすでに始まっていた。イランの空港の降り立った猪木は野宿までしてバグダッドを目指した。
なぜ、再び戦地に赴くのか?
「いや待て。人質解放が俺の目的でなかったはずだ。俺は戦争そのものを止めるためにここにいたんじゃなかったのか?」(猪木談)
これが「かっこいい」表の物語。
暴露本を出版した元女性秘書の見解は違う。
「猪木がイラクに行ったのは石油利権獲得が目的だった」
長年、猪木を見てきた私としては「うーん」と唸らずにはいられなかった。
無謀な事業欲が生んだ18億円とも30億円ともいわれた借金の存在が常に「スーパースター」の背に重くのしかかっていたからだ。
しかし、それにしても……。
「自ら築き上げた帝国が空爆を受け、『人類の敵№1』として命を狙われていたサダム・フセインが、極東のプロレスラーに石油の権利をポンとあげたりするか?」

私の目の前にいたアントニオ猪木はこう言った。
「ずうっと『三国志』を読み、イラクの側に立った戦略を考えていましたね。結論は『戦わずして勝つ』というアジア的な知恵です。イラクが一夜にして兵を引く。そうなると、国際世論はイラク支持に回りますよ」
このとき、サージェント・スローターは42歳。電気も水道も止まったバグダッドのホテルでアントニオ猪木は48歳の誕生日を迎えた。
二人の男の行動は、「プロレスは誰のためにあるのか?」という問いに明確な答えを出した。
【連載】魔術とリアルが交錯する「プロレス怪人伝」

著者:中田 潤

フリーライター
アイコン
『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数