【第7回】世界最大のプロレス興行「レッスルマニアVII」。サージェント・スローターVSハルク・ホーガン|リアルホットスポーツ

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2015年8月18日
【第7回】世界最大のプロレス興行「レッスルマニアVII」。サージェント・スローターVSハルク・ホーガン

「サダム・フセインに魂を売った元米国軍人」サージェント・スローター。対するコーナーには「リアル・アメリカン」ハルク・ホーガン。かつて二人はWWFのトップの座を争うライバルだった。

フリーライター
  
pro-wrestling07
※写真はイメージです。

プロレス史から抹消された二つの「戦時下の興行」

「猪木がイラクでやった平和の祭典、すごかったなあ」
そのようなことを語るプロレスファンに私は出会ったことがない。
私自身、バグダッドのどこで誰が誰と闘ったのかまったく記憶していない。

しかし、1991「レッスルマニアVII」はPPVを含め数十万人がリアルタイムで観ていたはずだ。
だが、こちらも同様。誰も語り継ごうとしない。

私は7年後に雑誌『ブルータス』でプロレス特集を作ったのだが、この試合の写真を入手するのにえらく苦労したことをおぼえている。
世界最大のプロレス・イベントのメーンの写真がどこにもないのだ。
「あれはなかったことにしよう」というのがWWFとそのファンの「暗黙の了解」なのだろう。

失敗の原因はなんだったのか?
1991年1月19日。「レッスルマニア」の前哨戦、「ロイヤルランブル」でスローターはアルティメット・ウォリアーを破り、初めて世界最高峰のベルトを腰に巻いた。
「プロレスとはいえ、ここまでやっていいのか?」
WWFには500本近い抗議の電話があったという。
米軍を中心とした多国籍軍が「砂漠の嵐」作戦を開始したのは、2日前の1月17日。
湾岸戦争は「史上初めてテレビで生中継された戦争」だった。
全米はもちろん全世界のテレビが「砲弾の飛び交うバグダッド」に埋め尽くされていた。

湾岸戦争では約70万人の米兵が中東に送られた。残された家族が「プロレス版湾岸戦争」をビール片手に楽しめるわけがない。
「WWFは『対世論』の戦いに敗れた」
そんな言い方もされたが、問題の本質はそこにはない。
この時代に『週刊プロレス』編集長だったターザン山本はこう言った。
「日常の中で人は自分の生命を守るために、互いに利害を調整し、法律を作り、集団生活をしている。人は安定しようとする。その日常に小さな穴が開いているんだよ。針の穴のようなところをぴゅーっと通りぬけていくと、世間の価値観とは正反対の巨大な遊び場がある。それがプロレス」
大槻ケンヂはプロレスを次のように定義している。
「目で見て感じることが可能なこの世ならぬ世界」

プロレスが「世間を映す鏡」であったこともなど一度もない

「プロレスのリングに持ち込んじゃいけないもの」に順番をつけるなら「No.1」は「世間の出来事」なのである。
プロレスが「世間を映す鏡」であったことなど一度もない。

プロレスほど「正義」と「悪」がはっきりした単純な世界はないが、「世間の原理」で 選ばれた「正義の味方」がプロレスのスターになったためしもない。
「プロレス版湾岸戦争」でスーパースターの中のスーパースター、ハルク・ホーガンはそ名も「パトリオット(愛国者)」に変身したが、このギミックは完全に「なかったこと」にされている。
WWFは米軍基地を慰問し米兵と談笑するホーガンの映像を苦労して作ったが、放映後、苦情の電話が増えただけだった。

プロレスのスーパースターが現実の英雄と同質だったためしもまたないのである。
この原則は米国より日本のプロレスにおいて徹底して守られている。
「小さな日本人」力道山が、身長2メートルのアメリカ白人を空手でバッタバッタと倒しまくる――そもそも、日本のプロレスは世間では起こるはずもない「絵空事」として始まり社会現象にまでなったからだ。

多国籍軍vsイラク。絶対多数と滅びつつある少数派。
「イラクの立場で考えたかった」(猪木談)
これは力道山に殴られてのし上がってきたプロレスラーの本能だと私は思う。
動機が「世界平和」であれ「石油利権」であれ。

「ダメなギミック」が「しょっぱい試合」を生む?

1991年3月24日。
イラクの国旗たなびくリング。テーマ曲「リアル・アメリカン」に乗って登場したハルク・ホーガンは、いつもの自由奔放なホーガンだった。
「真の米国人」は単なる「愛国者」ではない。「米国の多数派」の代表でもない。夢の世界でしか生きられない少数派なのである。
対するサージェント・スローターのアスリートとしての本質は「でかいのにむっちゃうまい」である。身長196センチ、体重136キロの巨漢でありながらゴム毬が弾むようなバンプ(受け身)を連発する。

ホーガンはスローターを信頼していたからこそ、ロックアップ(スローターが押しまくり圧倒した)からヘッドロックというオーソドックスなスタイルから入ったのだろう。
しかし、スローターは明らかに生彩を欠いていた。リング上で複数のミスを重ねるスローターを初めて見た。
ギミックとはリングの外の「つくりもの」いわば「ハリボテ」だが、この試合は「ダメなギミック」がプロレスラーの動きに影響を与えた試合の典型だった。
「USA! USA!」
鳴りやまぬ歓声の中、血まみれの笑顔を振りまくハルク・ホーガンもまた、どこか悲しげだった。
プロレス史上の汚点ともいえる「ひどいドラマ」を演じ終えたスローターは、すぐさま「米国陸軍の鬼軍曹」に戻った。
「あれだけのことをやったあとだぞ。どんな芝居をやれば元に戻れる?」
これが今も解けぬ謎である。スローターが前座試合に押しこまれたため、映像も資料も残っていない。前座で約1年間、踏ん張ったが、サージェント・スローターは「まだ動けるのに」リングから消えた。

空振りに終わった猪木の「戦争を止める」ための旅

 極寒の砂漠の夜。カップ麺をすすり、野宿までして実現した「国会議員」アントニオ猪木のバグダッド訪問はまったくの空振りだった。
<夜は毎晩空爆である。すぐ近くではなかったが、ドーンという重い衝撃が響いてくる。見ていると一晩に三回ぐらい爆撃機が来た。下から撃ち返す砲弾が花火のように光って、夜空を染める。>
<政府の役人と交渉し、首脳陣に会う段取りをつけ、同行した新聞記者が会見までセッティングしたのに、残念ながら結局誰にも会えなかった。>(『猪木寛至自伝』新潮社) 「たかがプロレスラーに何ができる?」
「たったひとりで乗り込むなんて愚の骨頂」
「国会のルールを守れ」
猪木を批判する言葉は無数にあるだろう。
私が初めてインタビューした頃、アントニオ猪木は日本とキューバの間を計6回も往復していた。
「カストロ首相とクリントン大統領を握手させたい」
「世界平和」が「かっこいい」表の理由。しかし、猪木はすぐさまこんな話を始めた。 「私がカストロからもらったイスラ・アミーゴ・デ・イノキ(友情猪木島)の周辺には財宝を積んだ船がたくさん沈んでいる。72隻が記録に残っている。サルベージしてみようかと思ってるんだけど、講談社さんも出資しない?」
「国会議員」から「山師」への瞬時の「ギミック」変更?
「この世ならぬ世界」は、バカで豊かで居心地がいい。
【連載】魔術とリアルが交錯する「プロレス怪人伝」

著者:中田 潤

フリーライター
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『平凡パンチ』専属ライターを経てフリー。スポーツを中心に『ナンバー』『ブルータス』『週刊現代』『別冊宝島』などで執筆。著書は『新庄のコトバ』『新庄くんはアホじゃない』など多数