2015年6月19日に国際資格停止の処分が解除された。資格停止の主たる原因の1つに2つのリーグの統一問題だった。制裁から半年で一気に誕生にこぎつけたJPBLの全貌はいかに!
1982年。リングに「緑色の類人猿」が現われ、ひとりのパワーファイターが消えた。出現したのは「サルと人間の中間にいた幻の生物」ミッシング・リンク。消えた男の名はデューイ・ロバートソン。
1995年春。カナダ出身のプロレスラー、ミッシング・リンクが初来日した。「失われた環」「進化論の謎」「サルと人間の中間にいた幻の生物」……ハンサムなパワーファイター、デューイ・ロバートソンはなぜ、44歳になって「類人猿」キャラを選び変身したのか?
彼と競馬ファンに「幸福」と「死」を同時に見せつけた馬がいた。GⅠの大舞台で落馬した後藤騎手を見つめ、彼のもとから離れなかった馬。負けても負けても走り続け、ファンに「あいつは後藤を待っている」と言わしめた馬。その馬の名は、シゲルスダチ。
死の数時間前まで後藤浩輝は演歌のライブの客席にいた。応援グッズに身を包み、大声で歌手の名を叫んだ。「はしゃぎまくっていた人間が直後に首つり自殺をするか?」。誰もが言葉を失った。
JBAのガバナンス欠如、男子日本代表チームの強化遅れ、2つの男子プロリーグ。『豪腕』川淵三郎氏によって成果となって発表された。
2月27日。JRA騎手、後藤浩輝がこの世を去った。「僕は多重人格者だ」と自己紹介する自伝『意外に大変。』(東邦出版)の後半。後藤騎手は自らの生い立ちを赤裸々に語っていた。チャラけた言動の裏にあった後藤騎手の思いとは?
2015年2月27日。JRA騎手、後藤浩輝がこの世を去った。死の6日前、東京競馬場で行われたダイヤモンドステークスで後藤騎手は落馬した。後藤騎手の生涯最高のレースもまた、15年前のダイヤモンドステークスだった。
1964年に開催された東京オリンピックと2020年に開催される東京オリンピック。56年の歳月を経て東京は再びオリンピックに想いをはせる。その東京オリンピックのシンボルであるマーク・エンブレム。そこに込められた願いとはなにか?
2015年2月22日。JRA騎手、後藤浩輝がこの世を去った。「首吊り自殺」という知らせに誰もが言葉を失った。「理由がわからない」としか言いようがなかったからだ。低迷する競馬人気を支えた「ファンサービス委員会委員長」はなぜ死んだのか?